menu.1 憧れのだし巻き卵(2)

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そーたはキッチンペーパーを横の小皿に置きつつ言う。卵液のボウルを手に取り、投入。 じゅわぁあ、という音がフライパンから立ち、いい香りが立ちのぼる。シュウは思わず身を乗り出して、フライパンを凝視し、香りを嗅いでいた。 目の前では、そーたが卵を半熟にして巻いている。ひょい、ひょい、とひっくり返す度にフライパンを軽く上に振る様も、ショート動画そのままだ。 最後まで巻くと、素早くキッチンペーパーで油を塗り足し、卵液を入れる。ふつふつとしたところを割り、半熟状態にしてから巻き、を繰り返す。 シュウは夢中になって見ていた。あっという間にフライパンの上に黄金色の綺麗なだし巻き卵が鎮座している。 その色艶と形に、きっと何百回何千回と練習したのだろうな、とシュウは考える。菜箸だけでここまで綺麗に焼けるようになるまで、一体どれだけの修練を積んだのだろう。 「卵焼きの完成、っと」 そーたはそう呟きながら、用意しておいた巻き簀でぐるりと巻いた。 これもショート動画で見た、とシュウは凝視する。確か、形を整えるのに巻いていたような気がした。 ばちん、と電気ケトルが鳴った。今まで電気ケトルに縁が無かったシュウは思わずそちらの方を見る。ケトルの注ぎ口から蒸気が出ていた。 (……湯沸かしポットか) 緊張をほぐすように息を吐く。そして、無意識にそーたに視線を移した。 彼は背を向け、食器棚から椀を二つ取り出している。 ……が、その手元が少し怪しい。なんというか、素早いのに、手元だけがぎこちない。椀に向かい合う時間が長いような。 (……この動きは、見たことがない) そーたが椀をアイランドキッチンの調理台に持ってきた。妙な違和感はもうない。 だが、シュウの勘が告げている。そーたは何かを隠している。 椀の中に、冷凍庫から出した球状の何かを入れているそーた。その姿はいつもの、料理に真剣に向き合っている彼の姿しか窺えない。 ケトルの湯と混ざり合ってのぼった湯気から、味噌汁の香りを感知しつつ、シュウはそっと視線を落とした。 いまだ巻き簀の中で出番を待っている、だし巻き卵を見ているフリをする。 (……俺が、そーたを糾弾できる資格などあるものか) 出来るわけがない、とシュウは思う。訴えられたっておかしくないかもしれないことに、巻き込みかねないのに。 (……巻きこむ? ……なににだ?) ――そう、今はボーナスタイムの最中。夢の中の出来事なのに、何か危険があるのだろうか。 ふわり、と味噌汁の香りが漂うキッチン。椀がカウンターに置かれると、シュウは機械的にそれをダイニングテーブルに運んだ。 その間に、そーたは巻き簀を外してだし巻き卵をまな板に乗せていた。シュウは慌てて戻り、その手元を注視する。 室内灯に照らされ艶めく黄色。四角いそれに包丁が入り、切り口から出汁の水分がじゅわりと滲む。 思わず、恍惚としてしまった。やはり実物はいい。 そーたが苦笑して、切り分けただし巻き卵を3切れずつ皿に盛り、カウンターの上に乗せる。シュウはすぐに皿を取って、テーブルに移した。 湯気は大分控えめになっていたが、それでも暖かい。皿越しにじんわりと伝わる熱に、シュウは思わず自分の分と定めた皿を揺らした。 ふるる、と揺れるのを見て、また一つ恍惚のため息。 やっぱり自分にとって、そーたという人物は特別なのだ。 何故なら、このテーブルに並んでいる品たちは皿の模様一つに至るまで輝いて見える。 シュウは本気でそう思った。 (流石ボーナスタイム。まるでだし巻き卵が宝石のようじゃないか) ふふ、と無意識の笑みが漏れた。シュウは気付いていない。 ふるふる、ふるふる。だし巻き卵の柔らかさと嫋やかさに、皿を揺らす手が止められない。 シュウががだし巻き卵に魅了されている間に、そーたは箸を二膳揃え、まな板と包丁、フライパンを手早く洗う。 濡れた手を手拭きタオルで拭いながら、そーたはシュウに言う。 「さ、食べよう。ほとんど作り置きで、暖めたり適当に作ったやつばかりだけど」 話しかけられて、ようやくシュウは皿をテーブルに置いた。その表情は先ほどから緩みっぱなしだ。バーでの鉄面皮はどこに行ったのか分からない。 椅子に座りながら、シュウは神妙な面持ちで返した。 「いや、ファン交流イベントでもないのに、君の料理を口に出来るんだ。例え昆虫食を出されたとしても、ありがたくいただける」 「いや、さすがに虫はちょっと僕が……。さ、これと一緒にどーぞ」 食虫食という人を選ぶワードに、そーたは少々顔を引きつらせた。だがシュウは本気でそう思ったのだ。 そーたが用意したこれらの品々。本人は何の変哲も無いと言いたげだが、とんでもない。こんなに輝いている料理を、シュウは初めて見た。 そして、そーたがテーブルに置いた、四号瓶と小ぶりの青切り子グラス。 これも見たことがあるぞ! 瓶のラベルを見た瞬間、シュウは思わず腰を浮かしかけた。 「そ、その日本酒は!」 「ん?」 「3ヶ月ほど前にコラボレーションした《キミジマお兄やん》から動画中で渡されていた!!」 「あ、そうそう。それそれー」 リーズナブルな値段の割に日本酒愛好家から高評価を受けている、新潟の酒蔵が製造販売している日本酒。それを注いだグラスの片方を、そーたはシュウに渡した。 自身のグラスにも酒を注ぎ終わると、グラスをシュウに向けてきた。 「はい、じゃー乾杯しよ! この出会いにかんぱーい!」 「か、乾杯」 戸惑いがちにシュウもグラスを傾ける。カチン、とグラスが鳴った。
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