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エピソード10「狡さ」
「ずるい、それはずるいよ、誰だってそうするよ」
その人の作品を見終わった時、僕はただ純粋にそう思った。
そのタイミングで誰だって鐘を鳴らすし、誰だってその瞬間にカメラを動かす。
そしてひとしきり卑怯だと考えた後に来た感情は、ただ純粋な敗北と絶望だった。
ずるい。
それはみんなを平等性に縛りつける言葉やリズムだ。ズルをするものは人から批判され、見下される。
でもみんないつだってその言葉のネガティブな面にしかいかない。
ずるいやつというのは、早いのだ。
誰だってやろうと思えばできると思うことを人より先にやるのだ。
そしてそれは逆説的に「誰も考えもしなかった」ことをやり出すという意味だ。
もしかしたらこういう人もいるかもしれない、「同じことを考えていたの!」と。
だがおめおめ忘れてはいけない。
そのアイディアについて考えていても、僕たちは「考えたこと」を実行することを考えていなかったのではないだろうか。
そしてそれが実行されて表面化し、誰でもできるような安易な空想や妄想が実現された時、初めて僕たちは「ずるい」と人のことを思うのではないか。
だから僕は怒っている。こうした今だって下唇を噛んでいる。
「こんなのずるいじゃないか、当たり前だ!この映画の撮り方も、演技も、台本も誰だってそうするように決まっている!」内心は怒りで燃えていて、晩年になってもナンバーワンでいたがった手塚治虫先生の気持ちが痛いほどわかるばかりだ。
でも本当は怒ってなどいない。
悔しいのだ。
先を越されて実現されたのだ。
抱いていた側から見たらしょーもない、でも自分の中では宝物のように抱えていたアイディアを他の人に実現されたのを。
そしてそれを実現できるような人間が、自分以外の誰かだったことを。
自分が、結局そこに辿り着けなったことを。
僕がなりたかった、憧れた姿になれず、他の人がなってしまったから僕はこんなに怒っていて悔しいのだ。
なれなかった自分自身の不甲斐なさに怒って、誰かに自分のなりたかった姿が実現されてて悔しいのだ。
「どうかされましたか?」
その人は僕をのところに心配そうに駆け寄ってきた。
ああ、きっとこの人に僕の気持ちはわからないのだろう。
見知らぬ人がしゃがんで泣いているのだ、それは駆け寄ってくるに違いない。
でも、その善行はただ私の感情を増幅させるだけなのだ。
「いえ、ごめんなさい。なんでもないんです」
どこかで読んだ小説で、フライトアテンダントの人とビートルズの曲を聴きながら悲しみについて語っていたっけ。
そんなしょうもないことがふと頭をよぎったが、どうでもいいことだったので忘れることにした。
「ご気分がすぐれませんか?」」
「いや、気分は大丈夫なんですよ、いや気分っていうのは精神のこと?いや体調という面では全然大丈夫、いやてか体の具合の悪さってなんで気分が悪いっていうんだ?えっやっぱり精神と体は一つってこと?あっこれ今関係ないやごめんなさいあまりにも悔しくて泣いてしまいましたあごめんなさいその妬みとかそういう意味ではいやそういう意味ではあるのかしらわかんないいやごめんなさい」
ああやってしまった。余計なことまでしゃべってしまった。鏡を見なくても、自分の顔が赤くなっていくのがわかる。
ああ、消えてしまいたい。早くこの場から逃げ出したい。僕は顔を下に向けて、次に来るであろう酷い言葉たちを待っていた。
だがその人は、少し笑った後に、優しい声色でこう言った。
「その気持ち、私にもわかります。だからこそそう思っていただけてとても嬉しい。でも、私もそれを何回も何回も感じてきたからこそ、この作品を作れたんだと思います」
シーザー王には「戦争か平和か」という可能性が二つあって、それで戦争を選んだからルビコン川を渡ったんじゃない。ルビコン川を渡ったから、僕たちはシーザー王が渡らなかった可能性について初めて考えることができるのだ。
この「ずるい」という気持ちはその表れだ。それを実現した人がいたから、初めてこの感情を持つんだ。
実現した人は、この気持ちを散々味わってきたから「次は私が」と意気込んで実現しようとするんだ。
もしかしたら実現の最中で他の誰かに先を越されてしまうかもしれない。それはずるさを感じる最高潮かもしれない。
でもそれはもう近い証拠なのだ。
もう一度やれば必ず実現とは言い切れない。だがそれを実現させようと働いてたことが、もうすでに他の多くの人たちより先に踏み出しているのだから。
「ありがとう、ございます」
少し落ち着いて、呼吸をして、僕は涙を拭いてからお礼の言葉を言った。
この人が、そして数々の有名無名の偉人たちが到達した方に僕も行きたい。
その気持ちだけが今僕の中で燃えている。
このギャラリーを出たこの瞬間から、僕はこのずるさを忘れるだろう。
そして自分が考えていたことを実現しよう。
そこにしか僕の心を昇華する契機がないのだから。
魂を、徹底的に。
そして外に一歩踏み出す。
外の青空と太陽が、そんな僕の新たなる門出を祝福しているかのようだった。
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