1人が本棚に入れています
本棚に追加
「まるで悪夢ね」
息を切らしながら駆けるソフィアが溢した言葉はギイギイと五月蝿く喚き散らす小鬼の群れの声にかき消された。
小鬼自体見た事はある。
学園の実地訓練で倒したこともある。
「まあ、その時はこっちが武器持ちで10人。その上、先生が弱らせてくれていたけど、ね……!」
通路の曲がり角。壁を蹴りソフィアは直角に移動する。
その時ちらりと見えた小鬼の数はざっと見ても10匹以上。
学生であるソフィアの敵う相手ではないとソフィアは再び全力で駆け出した。
一体なぜこうなってしまったのか。
ソフィアは汗で顔に張り付く金髪を鬱陶しいに払いながら今日の事を思い出していた。
今日は確かに良くない日ではあった。
学園につくと親友であるミイナの机が汚されていた。
犯人は分かっている。
デプライズ家のラナガンだ。
今、勢いのあるミイナの家が親子ともども気に入らないのだろう。
それに、今日は下僕のように使っているイアンがお休みしていて苛立っていた。
とにかく行動・発言一つ一つが目に余るものだった。
だが、デプライズ家の権力はとてつもない。教師も注意は出来ないどころか、ラナガンの味方。ソフィアは、ミイナを影で慰めてあげることしか出来なかった。
憂鬱な気持ちで、魔法と歴史と剣術の授業をこなしお昼に入る。
ミイナは気を使ったのか、昼になるとどこかへ消え、ソフィアは他の比較的仲の良い子達と中庭で昼を共にした。
正直、少しほっとしている自分がいることがソフィアの暗い気持ちを増幅させた。
昼以降ミイナからソフィアに近づいてくることはなく、ソフィアは話しかけるタイミングを見失ったままその日の授業を終えた。
少しでもミイナと話したいと終わってすぐ教室を飛び出したミイナをソフィアも追いかけた。ソフィアたちの教室は上級貴族のクラスという事もあり学園の中心に近く校門までは距離もあり、追いつくと高をくくっていた。
だが、渡り廊下、大階段、下級クラスの教室、どんなに一生懸命走ってもミイナには追いつけなかった。
校舎の出口手前の曲がり角で完全に見失い、ソフィアは気持ち悪い疲労とほの暗い心のまま家へ帰ることとなった。
そして、ぼーっと時を過ごしていると、気づけばダンジョンにいた。
迷宮。
月と共に入り口が現れるといわれており、その中は実に多種多様。
洞窟や塔、時には城などが現れる。
その中には恐ろしい魔物達がいるが、宝も多く、冒険者と呼ばれる者たちはその宝目当てに迷宮に潜る。
夜更かしをしていると、冒険者にさせるというのが貴族の親の定番だった。
夜にわざわざ起きて、恐ろしい魔物のいる迷宮へ潜る。
そんなならずものになりたくなければちゃんという事を聞いて眠れということだ。
貴族は魔物狩りもするがその多くは貴族の地位をちゃんと分からせるためのものであり、倒すのも迷宮から出てきてしまい、日のもとをうろついているはぐれくらいだ。
授業で魔物を殺しに行くのもそういった貴族のお仕事が出来るようにということと、しがらみの多いその世界での不満を発散する目的があるらしい。
それでも発散しきれない思いがあるからこそ、ミイナのような被害者が生まれるのだが。
「ギイギイ!」
小鬼の声にはっとソフィアは意識を戻す、考え事をしながらでも足が動いていたのは授業の成果というべきか、とにかくソフィアはいつの間にか迷い込んでいた迷宮を走り続けていた。
昼休みの中庭で友達とそんな話をしてはいた。気づけば迷宮に迷い込んでいた女性との話。ただの作り話かと思いながらも、その妙に生々しい話にどきどきしながら耳を傾けていたが実際に遭遇するとは夢にも思っていなかった。
「ええっと……その子はどうやって出られたんだっけ?」
必死に記憶の扉を開けようと頭を動かしながら、逃げ惑うソフィア。
迷宮は、洞窟のような光の差さない地下のようだったが、地面が少しねばりつくような泥で出来ており走りにくい。広さはかなりの広さで多くの部屋があったが、かなりの確率で小鬼と遭遇するので休む暇もなく走り続けるしかなかった。
「はあっはあっ……あ、あそこ、もしかしたら……!」
小さなくぼみを見つけたソフィアはそこに駆け込み身体を小さく縮こまらせて、息を殺し、耳を澄ます。小鬼はソフィアを見失ったようで、先ほどまでの勢いが消え失せ、少し苛立ち交じりの会話のような鳴き声をかわしている。
たった一人で迷宮に迷い込み無数の小鬼に追いかけられている。
自分の身に襲い掛かった理不尽の塊にソフィアは怒りがこみあげてくる。
(絶対に、生き延びてこの迷宮から出てみせる……! じゃないと)
ミイナとまだ言葉をかわせていない。
もしここでソフィアが死ねばミイナは明日から学園で一人かもしれない。
ミイナもまた理不尽の塊とたった一人で戦わなければならない。
(そんなこと絶対にさせない……!)
ソフィアはぎゅっと自分の拳に力を込め、顔を上げる。
「ギイ」
そこには小鬼の醜悪な顔。
ニタアと嗤うその顔があった。
「ひ……!」
漏れ出た声を抑えながらソフィアは頭を必死で働かせる。
相手は一匹。自分で独り占めしようとしたのか他の連中は気づいていない。
小鬼は笑顔のままソフィアを捕まえようと片方の手のひらでソフィアの肩を掴み、もう片方に持っている短剣を振り上げる。
小鬼の股間が異常なまで膨らんでおり、ソフィアは昼休みのかしましい話で迷宮に迷い込んだ女生徒が襲われボロボロの姿でようやく迷宮から出ることが出来たが腹は大きく膨らんでいたという最悪の結末を思い出す。
「ふざ……けないでよっ……!」
ソフィアはその笑顔に無性に腹が立ち、思い切り足で股間を蹴り上げた。気持ち悪いぐしゃりという感覚と共に聞こえてきたのは小鬼の情けない小さな悲鳴。
体術の授業を思い出しながら短剣を奪ったソフィアは仰向けに倒れた小鬼に向かって振り上げる。その時だった。
何かがソフィアの頭の中を駆け巡った。
それが何かは分からない。だけど、何か大切な事。今、思い出さねばいけないこと。
記憶の扉をこじ開けようとするがどうしても思い出せない何か。
「……あ」
考え事に気を取られていたソフィアを再び小鬼が組み伏せた。ぼたりと涙と鼻水と涎交じりの液がソフィアの顔に落ちてきてソフィアは顔を顰める。
もう小鬼には欲情の様子はなく、ただただ怒りに震え、ソフィアへの殺意をみなぎらせていた。
死ぬ。
ソフィアは死を覚悟した。
迷宮に迷い込んでしまった己の不運を呪いながら目を閉じた。
甘い香りがした。
小鬼の腐った卵のような涎とは違う。甘い匂いだった。
「って、おいおい、諦めないでくれよ。あんたみたいのに死なれちゃあ寝覚めが悪ぃよ」
低くて腹の底に響くような声。
そして、
「ギャッ……!」
風が吹いた。目を開けると小鬼はいなくなり、代わりに男が立っていた。
黒髪、黒い瞳、そして、真っ黒な服を纏った男。
煙草を咥えながらこっちを見ていた。
「貴方は……冒険者?」
「っま、そんなとこだ。俺はバァク。嬢ちゃんの名前は?」
「ソフィア、と申します」
「っぱ、貴族か」
「やっぱり貴族?」
ソフィアが首を傾げていると、バァクと名乗った男は薄く紫がかった煙を吹きかけてくる。
「げほっ……何を」
「魔物避けの煙だ。奴らはこの煙を嫌がる。っとはマシだろ。それより、嬢ちゃん。赤髪の三つ編みのあんたと同じ格好をした女を見なかったか」
バァクに言われ、初めてソフィアは自分が学園の制服を着ていることに気づく。
(いつの間に? いえ、それより……赤髪の三つ編みって……!)
「ミイナが、この迷宮の中に?」
「っぱ、知り合いか。ったくめんどくせえなあ」
黒髪を掻きながらソフィアを見下ろすバァクの目が恐ろしいほどに冷たく身体を震わせる。
責め立てるようなその目にソフィアは思わず俯く。
(あ……)
「っと待っておけ。三つ編み探してとっとと出る。っぽどの事がない限り、こいつを焚いておけば大丈夫だ」
「待ってください」
バァクの差し出した紫の葉が詰まった香炉のようなものを抑えながらソフィアは顔を上げる。
「私も……連れて行ってください」
ソフィアはぎゅっと腰にぶら下がっていたお守りを握りしめる。
それは、ミイナとお揃いで買ったもの。
ミイナと自分に幸せな未来が訪れるように、互いの夢がかなうようにと願いを込めたもの。
(私が、ミイナの夢と未来は私が守る……!)
「……げほっげほっ!」
またバァクが紫の煙を吹きかけてきたせいでソフィアは咳き込んでしまい、バタバタと手を振る。
「ふぅー。ったら、余計この香炉は持っておけ。小さな火をつけるくらいの魔法は使えるだろ? ヤバくなったらそれ焚きながら逃げろ。いいな?」
ソフィアを連れて行く前提のバァクの言葉にソフィアは頷く。
「っし、なら、お前が案内してくれ。三つ編みのいそうな所を」
「はい!」
ミイナとは前までずっと一緒だった。外でも学園でも。
こういう場所ならここにいるかもという近しい者の目線にバァクも期待しているのだろう。
ソフィアは息を吐くとお守りをぎゅっと握りしめ駆け出した。
(それにしても、この人、すごい)
ソフィアはバァクに尊敬にも近い目で彼の姿を追い続けた。
先程迄あんなに恐ろしかった小鬼が彼の手にかかれば、文字通りの小さな鬼、小物に過ぎなかった。
「ふぅー……っこいしょっ!」
肺に入れられた紫の煙にはバァクの魔力が込められているらしく、バァクの口から吐き出された煙は時に魔物の顔にかかり妨害を、時にバァクの手足に纏わりつき武器となっていた。
そして、彼の体術はどの先生の動きよりも汚くめちゃくちゃにも関わらず圧倒的な強さを見せていた。
「す、すごいですね……なんという流派なんですか? 私達の王国流とは違いますよね」
「ふぅー……流派? ねえよ、適当によさげな技を適当に使ってるだけだ。それより、気を付けろ。この先よりやな感じだ。っこう手こずりそうだ」
一緒についていけばいくほどバァクは不思議な男だった。
口調は粗雑だが、歩くスピードや休憩のタイミングはこちらのことをしっかり考えてくれている。だが、こちらを見る目は冷たく、小鬼や迷宮内を見ている方が目を輝かせている。
(っといけない! 私もミイナの考えを読んで役に立たないと!)
ソフィアは自身の頬を叩き集中する。
迷宮内は奥に進めば進むほど罠が増えていった。
扉を開けた瞬間に岩が落ちてくる罠、落とし穴や滑った瞬間矢が飛んでくる罠。
一番驚いたのは小さな部屋に入った瞬間水が溢れてきた事だ。
何から何まで理屈ではありえない現象が起きている。
現実離れした迷宮では常識が通じない。
洞窟の中に大きな階段があったり、一本橋が存在する。
それが、迷宮。
だが、ミイナは人間であり、ソフィアの友人だ。
ミイナのセオリーで考えれば彼女がどこにいるのかはなんとなく分かる。
……つもりだったが、なかなかうまくはいかなかった。
なんとなくいそうだなと思った所がことごとく外れだった。
なんなら水責めにあったところはソフィアが確信をもって入った部屋だった。
(だけど、なんだろう。この懐かしい感じというか何かと重なる感じ)
迷宮の中を歩くたびに感じていた違和感。
思い出せそうで思い出せない何か。
箱が開きそうな感覚。だけど、同時に開いてはいけないとも思う何か。
「っと待て。休憩しよう」
その蓋に手を掛けた瞬間、タイミングよくバァクに声を掛けられ思考を中断させる。
よくわからない安堵感に息を吐くとソフィアは頷く。開けた場所に出てバァクの持っている予備の香炉を焚きながら比較的べとつかない椅子に出来そうな塊をしっかり確認して座る。一つ前の休憩では塊に棘が生えていてあやうく尻に穴が開くところだった。
「あの……一つ聞いていいですか」
「こたえられるようならな」
「冒険者というのは、みんな貴方のような人なのですか?」
「っと、言っている意味が分からん」
「えーと……その、いえ、やはりいいです」
バァクへの質問の意図、自分が何を聞きたいのかを測りかねてソフィアは口をつぐむ。
その様子を見たバァクは、紫の煙草に火をつけ、大きく吸いぶわりと煙を宙に撒くとソフィアを見て口を開いた。
「じゃあ、俺からも質問だ」
「は、はい」
「あんたの夢はなんだ?」
「へ?」
間の抜けた声が思わず出た自分に驚くソフィアだったが、それ以上にバァクの質問に驚いた。
(そんな青臭い質問をしてくるような人だったっけ?)
目の前のバァクという男は、女に厳しく魔物や迷宮に好意的な変な人物。そう認識していたソフィアはバァクの質問の真意をはかりかねながらも答える。
「そう、ですね……私は貴族の娘なので、どこかに嫁ぐのでしょう。そこで少しでも幸せな家庭を築くことが出来れば……」
「っぱ、そんなもんか」
苦虫をかみつぶしたような顔をしたバァクを見たソフィアは胸が締め付けられるような感覚に襲われぎゅっとミイナとのお守りに救いを求める。
夢。
貴族にとって夢とは国の幸せを願い、家を反映させることだ。
だが、夢というよりも責務に近い。
夢というならば……。
お守りを握る手に熱がこもり、その熱が巡る血と共に心の臓を通り、口に辿り着いた、気がした。
「でも、もし叶うなら……」
「あん?」
ミイナと交わした言葉、紡いだ夢を話していいなら。
「誰も見たことのないような景色を見てみたいです。私はもっと色んな世界を見たい」
貴族の家から貴族の家へ嫁ぐ。きっと同じような景色を繰り返し見続けることになる。
そうではなく、そう、例えるなら、バァクのような自分には測りかねる人間と出会い、迷宮とはいかないまでも自分の知らない世界を知りたい。
自ら剣を振るい道を切り開く……冒険者に。
「ふーん、いいね」
そう言ってバァクは笑った。出会って初めてくらいの優しい目で、くしゃりと笑った。
冒険者という人間はみんなこうなのだろうか。馬鹿な夢が好きなのか。
そう、馬鹿な夢。
貴族なら一笑に付す夢を。
ミイナは真剣な目で聞いてくれた。
ソフィアはそんな夢を抱いていたことをミイナに気付かせてもらった。
ミイナは思い出させてくれた、ソフィアの夢を。
あの中庭で。
(あれ……?)
バァクの姿がミイナと重なる。
いや、正確にはそこには『ミイナがいたはずだった』。
(でも、今日は……『他の子』がいて)
ソフィアは慌てて周囲を見る。
見たことのあるものの配置。影。距離。高さ。
一本橋も大きな階段も、あの曲がり角も。
ソフィアは知っている。
毎日歩いたルートだから。
この服を着て。
「っと気付いたか。無理に開くと最悪死ぬからな」
そう言ってバァクは、一度煙草を咥え、大きく煙を吐くと、また真剣な目に戻って口を開く。
「……あの娘がどこにいるか分かるか」
バァクの声に震えながらソフィアは歩く。
いつもの道を歩く。
これは夢だ。
悪夢だ。
現実じゃないんだ。
だけど。
私は知っている。ここを知っている。
知らないのは……。
ソフィアが入った部屋。その中に塊が規則正しく並んでいた。
だが、塊の一つだけ。真っ黒に汚れていた。
顔を思い出していた。
「バァクさん、ここどこですか?」
ミイナの顔ではない。
「……これは俺の考えだがな。迷宮」
あの小鬼の顔。
「迷宮は夜に生まれる」
あの顔は、
「迷宮は夢だから。この迷宮は」
イアンだった。ラナガンの手下。
ソフィアを厭らしい目で見て、ミイナを虐めていたイアンにそっくりだった。
そして、
「三つ編みの心だ」
この悪夢のような迷宮は、学園にそっくりだった。
迷宮。
それは魔力によって生まれる存在。
魔力が高まるのは月明かりが照らす夜。
その高まった魔力が何かの原因で迷宮を作り出すらしい。
道中、バァクがそう話してくれた。
そして、
「迷宮はそいつの負の感情こもった記憶を魔力にかえて現実の世界を作り替える」
つまりこの迷宮はミイナから見た学園らしい。
ミイナには、学園が恐ろしい罠と小鬼だらけの地獄のような場所だったのだ。
ソフィアは震える手で鼓動が早く鳴り続ける胸を押さえ必死に進んだ。
もし、本当にこの悪夢がミイナから見た学園なら。
(学園なら彼女はあそこに)
地下なのに上へ上へ繋がる階段があった。
学園なら屋上に行ける階段。
彼女は泣きたくなるとそこにいた。
「ミイナ!!!」
「こコハ立入禁止ダぞ! ソフィアァアアア!」
屋上に出る扉の前に居たのは、小鬼よりも大きな餓鬼と呼ばれる魔物だった。その顔は、
「ラナガン?」
「ひはああああ! そうだよ、ラナガンだ! コイツはいいねえ! コイツを見れば見る程あのコは怯え怒り泣いた! ラナガンはイイ! 私達悪魔よりよっぽどアクマさ!」
ラナガンそっくりの餓鬼は、真っ赤な瞳を三日月のように細めて嗤った。
「っぱ、悪魔か。いいか、悪魔は、っちゃけ強い。アイツらは宿主の負の感情によって再生を繰り返す。危なくなったら逃げろ」
バァクはそう告げると、初めて腰に差していたショートソードに煙を纏わせて餓鬼へと向かっていった。
「ぼうけんしゃぼうけんしゃ! あの子の好きな冒険者! 殺せばあの子はなくかなぁあああ!?」
「っせえよ。俺は死なねえよ」
バァクは短くそう告げると、再び煙草を口に咥え大きく息を吸い餓鬼に向かって煙草を飛ばす。
煙草の火か葉そのものか何かを嫌った餓鬼がそれに意識をとられた瞬間、バァクは忍び寄り口から吐き出した煙で餓鬼を包み込む。
「煙獄」
紫の煙は餓鬼を包み込むとどんどんと縮んでいき、その球体にバァクがショートソードを突き立てた。
「イ、イ、イヤァアアアアアアアア! 暗いのイヤア! 狭いのイヤア! ですっテ」
餓鬼は煙の牢獄とショートソードを突き立てたバァクを吹き飛ばし嗤った。
(ああ……そうだ。ミイナは暗いところも狭いところも苦手で、そういうところにいかないといけない時はいつも私が手を繋いでいた)
ソフィアは、吹き飛んだバァクに視線を送る。生きてはいる。だが、かなりダメージを負った様子。
(私のせいだ)
自分がもっとミイナを守ってあげていれば、バァクはケガしなかった。
気持ち悪い魔物は生まれなかった。
恐ろしい迷宮は現れなかった。
ミイナはこんな苦しい思い出に囚われなかった。
「私は……なんにもミイナの事をわかってあげられていなかった」
「んんんんんん? ンフフ、そうだあ、そふぃあああ、お前はミイナをわかってナイ」
「だけど! だから! 私は知りたいよ! 貴方を、ミイナァアアアア!」
ソフィアはバァクから貰った香炉の葉を握りしめると手の中に炎を生み出しながら駆け出した。屋上に繋がる扉に向かって。
「ヤめろぉおおおおお! むダナことスるなぁああああ!」
「ったら、お前こそ無駄な事すんなよ」
いつの間にかソフィアと餓鬼の間に飛び込んだバァクが、ソフィアを見てふわりと笑うと大きく息を吸い込む。ソフィアの手から溢れる黄色の煙を吸うとまた笑った。
「っぱあんたの夢、いいな」
そして、バァクはショートソードを構えなおし剣術を使った。
「ソレはぁあああ! 王国流!? お前、学園の関係者カ!?」
「っげえよ、俺は。よさそうなのを適当に使ってるだけだ」
洗練された剣術で相手の関節を一つずつ切り裂きながら、強引に身体を回し煙を吹き替えていくバァク。煙はバラバラになった餓鬼を包み込んでいく。そして、煙が足りずに落ちていくラナガンそっくりの餓鬼の首を。
「っこいしょおおおおお!」
蹴り飛ばした。
非現実すぎて笑ってしまったソフィアの手には蹴る直前に投げ渡されたバァクのショートソード。
黄色の煙がソフィアの手からショートソードにうつっていく。キッとにらみつけた扉に向かって大きく振りかぶる。
「あ、あ、あ、あぁああああああああああああああ! ミイナァアア!」
ソフィアは屋上への扉を切り裂き蹴とばした。
おおよそ貴族の娘には似つかわしくない行動でこじあけた扉の先には宝箱の影で膝を抱えすすり泣く赤毛の三つ編み少女。
「……ごめんね、迎えに来るの遅くなって」
ソフィアがそう告げると少女は俯いたまま赤毛の三つ編みを左右にぶんぶんと振った。
「もし、まだ遅くないなら、貴女が前に聞かせてくれた夢の続きを聞かせてくれない? この迷宮から出たら」
「……もし、出られなかったら?」
「出すよ。絶対に出してみせる。それは私の夢に繋がってるから」
ソフィアが手を差し伸べたその時、
「んだあ? これがお宝か?」
宝箱を開けたバァクが取り出したのは、ソフィアの腰にぶら下がったものにそっくりで、二人はつないだ手の温度を感じながら目を合わせ笑った。
「ソフィア、早く寝なさい。早く寝ないと」
「冒険者にさせるって言うんでしょ」
「いいえ、嫁がせるわよ。全くこんな風に怒るなんて前代未聞よ。とにかく、早く寝なさい」
「はーい」
ソフィアは部屋の明かりを消して目を閉じた。
そして、静まり返った頃起き上がり静かに着替え、窓から月明かりに照らされながら飛び出した。
「お待たせ、ミイナ」
「ううん、私も今一緒に来たところ」
そう言って笑う魔法使い姿のミイナの後ろには紫の煙を吐き出す男の姿が。
男から、夢見の葉と教えられたその葉を受け取ると、二人は魔法で火をつけ祈りを捧げる。
「「冒険者になれますように」」
そして、目を合わせ笑うと、煙はふわりと流れ、男の口に。
「っぱ、いいなあ。うん、いいな」
男は笑うと指をさした。そこには夜の迷宮が月に照らされ浮かんでいた。
「っと、今回は塔の悪夢っぽいな」
「今日もご指導ご鞭撻お願いします。【夢喰らい】のバァクさん」
「っていうか、精々に喰われすぎないように気を付けろ、ふぅー」
「げほげほっ! そっちこそ、食い返されないよう気を付けて」
「二人とも、明日も学園があるんですから早く行かせてください」
迷宮へと駆け出す三人。照らす月には紫の煙がかかっていた。
最初のコメントを投稿しよう!