探究者

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探究者

 今から遥か昔の事である。西暦と呼ばれた時代の地球には、高度な文明が栄えていたという。  世界中を移動できる鉄の箱。一瞬で何処からでも知識を取り出せる魔法の板。  街を見渡せば天を貫く程高い白と灰色の絢爛な塔が立ち並び、人々は日々神への祈りを捧げていた。  全ての人々が平等であり、誰もが自由を謳歌した輝かしい時代。だが、そんな栄光の時代も永遠には続かなかった。  何が原因で滅びたのかは伝わっていない。ただ事実として語られているのは、神が人を守るためにその身を犠牲にしたという事だ。  命の危機に瀕した神は形を変えて空に溶け合い、世界全てを包み込み、地上を迷宮で覆った。  それが新たな歴史、迷宮紀の始まりだと言われている。  迷宮紀2025年12月25日。  【黒の教団】の支部がある【アンカーネッジ】の街の一角には、ダンジョンへの道が空いていた。  人々は『人間が暮らせる環境下ではない場所』、または『未開の地』を全体的な呼称としてダンジョンと呼んでいる。  ダンジョンは危険な獣や植物が蔓延っており、冒険者や旅人などの専門家でも無い限り、外に出る人間は少ない。  それを知ってはいるが、イングリッドは自分だけが知っている道を通り、稀にダンジョンへと赴いていた。  年頃の少女にしては首にかかるくらいしか伸びていない金の髪。長年使っているエプロンドレスは所々ほつれ薄汚れている。透き通るように白く痩せた手には小さなナイフとランタンが握られ、剥き出しとなった硬い土肌を炎が照らしていた。  イングリッドは少し身を屈めた姿勢のまま、頭を天井にぶつけないように道を歩いている。  もう幾度も通った場所であるため慣れた足取りで進めるが、いつ獣が現れるかも分からない。十分に警戒してはいるものの、幸いにも【アンカーネッジ】周辺に現れる獣で危険な生物はあまりいない。  少なくともナイフで対処できないような生物は見たことがない。  時折、他の場所から紛れ込んできた獣の話を聞くこともあるが、そういった事になると血気盛んな若者が酒場代欲しさに討伐に向かうか、街の商売を仕切る商人ギルドが人を募集して派遣する。それでも手に余るようなら街を守護している衛兵が出たり、他の街から助けを呼ぶこともある。  まぁ、ともかく、女の私が一人で出歩いて無事に帰って来れるくらいには安全という事だ。  しばらく道を進んだ先に光が見えてきた。  炎とは違う。白い、魔法からなる光だ。それが暗闇の向こうの、ぽっかりと空いた丸い穴から差し込んでいた。  ランタンの火を消し、周囲を慎重に確認してから一面灰色で無機質な石張りの空間へと出る。  ダンジョン内には光源となる物は無いものの全体的に明るい。これは【アンカーネッジ】を開拓した当時の人々が、ダンジョン内に光源となる魔術を施したからだと言われている。  相変わらず湿ったカビの臭いが立ち込めている。壁には無造作に蔦が生い茂り、ひび割れた天井からは水が滴り落ちていた。  不気味な雰囲気ではあるが、獣がいるような気配は無い。だが、獣以外の…人攫いとかに出会う可能性はある。 (誰もいなさそうではあるけど、長居は無用ね…)  イングリッドは足早にとある場所を目指した。  いや。正確には『目指した』訳では無い。子供の頃に訪れた事のある場所を、微かな記憶を頼りに『探している』のだ。  途中までの道程は覚えている。しかし、ダンジョンは姿かたちを変えることがあるため、記憶の全てが頼りになる訳ではない。昨日通った道が明日には壁になっている事だってある。  気まぐれなダンジョンの気持ちなど人が量れるわけが無い。  それでも探し続ければいつかは見つけられると信じて、何度もダンジョンを訪れている。  記憶を頼りにまだ探索していない道の先へと進む。  時には瓦礫の山を乗り越え、時には地底湖の畔を渡り、そして今は通路を塞ぐように自生する植物を切り裂いている。  石壁から生えている植物の蔦は硬く、更に棘があるため一本切断するだけでも苦労した。 (これだけの量があると先に行けそうに無いなぁ…)  痛みを感じて自分の手を見る。  棘で切ったのだろうか。うっすらと筋が入った傷から血が滲んでいる。  冒険者が使っているような剣があれば楽に進めるだろうか?燃やすという手もあるが、ダンジョンが何処に繋がっているのか分からない以上騒ぎが起こりそうな事をするのは避けたい。どうすることも出来ないので、大人しく別の道を探すことにする。  戻った先でもやることは同じだ。ただひたすら獣を警戒しながら探索を繰り返す。  それでも一向に私が探している場所は見つかる気配がない。 ダンジョンに来てからどれくらいの時間が経っただろうか。さすがに疲労が見えてきた。  それに、先程から空気が澱んでいるような気がする。恐らくは空気中に含まれる魔素の割合が多くなっているのだろう。  魔法の元素である魔素は人の体に無くてはならない要素の一つだ。しかし、過剰に摂取すると体に不調をきたす恐れがある。  今日は探索を切り上げて引き返そう。そう思った矢先に、何処からか唸るような声が聞こえた。 「…誰かいるの?」  獣だろうか。それにしてはハッキリとした言葉のように感じた。  イングリッドが問いかけた言葉に返事はこない。  ナイフを構え、警戒しながら慎重に来た道を戻る。 「だ、誰かいる、のか……?」  今度はハッキリと耳が捉えた。人の声だ。  それも、先程まで進もうとしていた道の先から聞こえた。  誰かが助けを呼んでいる。  そう思った時、イングリッドの中で責任のような使命感が生まれた。  見捨てる訳には行かない。今ならまだ助けられるかもしれない。  ダンジョンを進んだ突き当たりの道を曲がった時、声の主がそこにいた。  旅人が良く着ている、古びたローブを身に纏った黒髪の男性。いや、もっと若く…。私と歳がそんなに離れていないように見える。 「大丈夫ですか!?しっかりしてください!」  体が冷たい。  唇に深い皺が刻まれ、意識も朦朧としている。  何とか背負う事が出来ないか試してみるも重くて持ち上げられない。引きずるだけで精一杯だ。 「直ぐに助けを呼ばないと…」  私一人では連れていくことが出来ない。だけど、助けを呼びに行っている間に獣に襲われるかもしれない。  どうするべきか迷っていると、突如動いた男性の腕が私の足を掴んだ。  ひんやりとした金属のような異様な冷たさが伝わってくる感覚と急な出来事に、思わず小さく悲鳴を上げた。  だが、足を握っている手は直ぐに力を失い、だらりと地面に落ちる。 「み、水…を……」  酷く掠れた低い声。  一瞬呆気に取られ理解が遅れたが、直ぐに水を入れるための容器がないかローブを剥いで調べる。  首から下げられた金属の水筒。  中身は空どころか一滴も水が落ちてこない。  一体いつから水分を飲んでいないのだろうか? 「待っててね。直ぐに戻るから!」  先程通ってきた地底湖まで戻り、青く透き通る水の中へ水筒を沈める。  冷たい水が空気を追い出し水筒の中を満たしていく。  ふと思ったが、この水は飲めるのだろうか?  一応魚が泳いでいる所を見ると、少なくとも生物が繁殖できるくらいには 綺麗な水質ということだ。だからといって害が無いとは限らない。  両手で水をすくい取り顔の近くまで寄せる。  臭いはしない気がする。特に汚れてもいない。  意を決して、口の中に一気に流し込んだ。液体がスルスルと口の中に溜まり、喉を鳴らしながら飲み干す。食道を通り胃に流れ落ちるまでの冷たい感覚があった。  普段飲んでいる水とあまり変わらないような、むしろ冷えている分こちらの方が美味しい気さえする。  確認を終えた所で急いで男性の元へと戻り、口の中に水の飲み口を入れて少しずつ傾ける。  口から溢れた水が床を濡らすが、小さく喉が動いているのが見えた。  良かった。まだ生きている。  そのまま水を飲ませ続けていると、男性の手がピクリと動き、急に水筒を奪い取られた。  そのまま水筒を逆さにし、まるで瓶に入った酒を飲むかのように、大きく喉を鳴らしている。  やがて水筒から口を離し、「プハァー」と大きく息を吸った後にこう言った。 「美味いッ!生き返ったァ!」  先程まで死にかけていたとは思えない豹変っぷりに、イングリッドは軽く呆気に取られた。 「いやぁ、助かった。マジでありがとう。このまま誰にも見つからずに忘れ去られるのかと思ってた」  両手を包み込むように掴まれブンブンと上下に振られる。ちょっと痛い…。  そういえば力も戻っている。水だけでこんなに元気になれるものだろうか? 「げ、元気そうで良かったです…。あ、まだ名前を言っていませんでしたね。私はイングリッドと言います。貴方は、旅人か冒険者の方ですか?」  私の質問に、彼はローブに着いた汚れを払い落としながら答えた。 「俺はスミス。探求者だ」
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