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「おつかれさん」
客足が去ったので、オレたち二人は売れ残りのカレー鍋を持ってダンジョンの外縁に出た。ニンジン畑を抜けて腰かけ、カレー皿を渡してくれながらアルデラはそう声をかけてくる。
「あれからもう十日も経ったなんて信じられないです」
オレはアルデラの隣、広大な奈落に腰かけてカレー皿を受け取った。
【ディケイステア】と呼ばれるこのダンジョンは地底の魔界へと繋がる深淵だった。世界地図にも載るほどの広大な穴はしかしダンジョンの本体ではない。その穴の壁面部分に広がる、全二百階層の人口建築物がこのダンジョンの本体だった。
その壁面は段のようになっていて、外縁に出てしまえばこの深穴のダンジョンの中でものどかな日の光を浴びることは案外に可能だ。アルデラなんかはその中でも良いポイントを見つけて菜園まで作っている。今食べているカレーに入っている野菜もすべてアルデラ製ダンジョン菜園の実りの恵みだ。なんでも、魔力が強いダンジョン内ではどんな植物も急速に育つらしい。「コツはいるけどな」と偉そうにアルデラは頷いていたし、実際に偉いとオレも思った。
……そう。【ディケイステア】は、非常に強い魔力を持つダンジョンだ。たった第二十階層に過ぎないここでさえ、ニンジンでもトマトでもミヅキノ(注釈:この地方特有の人気の葉野菜)でも野菜がうなるほど採れ放題になるくらい。ではそんな強い魔力が、持ち主が死ぬなどしてロストされた装備に宿れば――強力なマジックアイテムとなる。
オレが生まれたカルトでは、『ダンジョン内でのロスト装備』を『故意に』作ろうとしていた。それが十日前、オレがすべてを諦めて【ディケイステア】に飛び降りなければならなかった理由。拒否権はなかった。
だのに。
「アルデラさんに突然助けられてからも十日経つなんてことも、信じられないです」
「いやあ、流石に自殺志願者かと思ったね。助けて良かったよ」
落ちるオレを突然空中で掴んだアルデラを、オレは魔女かと思った。もじゃもじゃした燃えるような赤毛と金の目をした少女じみた姿のアルデラが宙に浮いているところはいかにも魔女らしいと思えたからだ。しかし実際には彼女はダンジョン内を駆け回っては物の売買を行う商売人で。オレはタダ飯食らいを許されている代わりに、盛大にこき使われているというわけである。ん? それをタダ飯食らいとは言わないか。飯の代わりにこき使われているだけだ。
でも、ヘマして怒られたってその説教は全部納得できることで、理不尽に怒鳴られたり殴られたりはしないから、家や教団よりはずっと良い。日の光はのどかで、畑からは土の香りが広がっていて、アルデラ特製のスパイスカレーは美味い。初めて人間らしく生きている気がした。
アルデラはカレーのスプーンを咥えたまま、オレの金ピカのアーマーを唐突にごつんと叩いた。
「イアンよお、重くないかい? こんな見た目が成金趣味なだけのハリボテアーマー」
「アルデラさんが装備を外すなって言ったんじゃないですか」
「【ディケイステア】では身体から離したもんは他人に盗られて仕方がないもんだよ。それでも良いなら外しな」
「良くないから外してないんですよ。ハリボテでも、オレにはこれしか財産が無いんで」
「じゃ、そろそろ外しに行くか。というか、最初から『そろそろ外しに行かないか』って話をしてる」
アルデラはスプーンをまだカレーが残った皿に置いて言った。オレは食べる手を思わず止めて、アルデラの目を見た。アルデラの細められた目の中で、金の光が強く輝いた。
「もっとまともな装備に交換しに、行ってみよっか。【ディケイステア】の最下層、第二百階」
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