超・妄想【おなかが空いた】1

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一人暮らしを初めてすぐ、僕の住むアパートに転がり込んできたイケメンは、家事、特に料理が全く出来ない奴だった。それは三年一緒に暮らしても変わらず、僕も無理にさせるような事はしない。料理は僕がやるから、圭が出来る事をやってくれればそれでいい。特に朝はやる事がたくさんあるから。 「伊万里、洗濯まわした」 「ありがとう、圭。これでちゃぶ台拭いて」 手狭なリビングにドタドタと入ってくる筋肉質で茶髪、大男な圭(けい)。その大きな手に濡らして絞った布巾を手渡す。僕、伊万里(いまり)の名前は、父が好きだという骨董品の伊万里焼から名付けられたらしい。 リビングと言っても家具は少なく、骨董品みたいな丸いちゃぶ台がひとつ。ソファーもない。 ふつふつと沸いている味噌汁に、溶き卵を回し入れる。今日は長ネギと豆腐と卵の味噌汁。 「伊万里、いいにおいする」 リビングとキッチンの境界線辺りで、まるで大型犬が尻尾を振るように"待て"の姿勢でいる圭。圭はキッチン立ち入り禁止の約束を守っている。 リビングとキッチンが一体化しているこの部屋。出来立ての味噌汁のにおいが、ふわりと漂っている。焼きたてのパンを皿に移して、レタスやキュウリ、トマトを切って乗せただけのサラダを二人分圭に渡す。 「あっ」 ふと思い出してキッチンに戻る僕。圭が何事かと付いてくるけど、境界線まで。僕は備え付けのグリルで焼いていた二つのホイル包みを確認して、火を消した。 「なんだよ、あんな風に声あげるとか珍しいじゃん」 「ごめん。初めて作ったから加減がわからなくて」 ホイル包みを一つずつ皿に乗せるとそのまま圭に手渡す。ナニコレ? と不思議そうな顔で鼻をすんすん鳴らす圭。ホイルの隙間から漏れ出た香りが、かすかに僕のところまで届くと、圭は表情を一転させ、瞳をキラキラと輝かせた。 「なにこれ、すっげーうまそうなにおいする!」 今にも涎を垂らしそうな圭に、こんがり焼けた食パンが六枚重なった皿を渡し、僕は二枚乗った食パンの皿を持ってちゃぶ台へ。 「うわー腹減った!」 「うん。お待たせ圭。食べようか」 元気よく、いただきますと声をあげ、気になるのかホイル包みに目線を流しつつも、味噌汁をすする圭。 「あっつ! うまー……」 よそ見してるとこぼすよ、と僕はサラダにドレッシングをかける。あっという間に味噌汁を飲み干した圭は「おかわり!」とお椀を突き出した。 おかわりを持ってくると、圭の食パンは既に二枚消えて四枚になっている。よくそんなに早く食べられるね。 「伊万里、これどうやって食べんの?」 「ホイルの真ん中から破いていいよ」 僕の分の皿を圭に見えやすいように動かし、ふっくら膨れた銀色の包みを箸で開いて見せる。とたん、ふわっとホイルに閉じ込められていた香りが広がった。見よう見まねでホイルを開いた圭が、その香りに、中身に、今度こそ涎を垂らした。 鶏肉の香草焼き。しっとり蒸し焼きにされた鶏胸肉は塩胡椒で下味をつけて。それに香草を振りかけてバターを乗せておいた。もちろん熔けてしまったバターは、鶏肉の下に敷いた玉ねぎの薄切りとシメジが肉汁やソースと一緒に吸って、程よく色がついている。 鶏肉一枚をそのまま包んで、中まで焼けるか不安だったからスライスしてみた。見た感じは生焼けじゃなさそう。 「圭、もし生焼けだったら言ってね」 「生でも絶対うまい」 お腹こわすよ。 僕の心配をよそに、圭は鶏肉を一切れ箸で摘まむとゆっくり、美味しそうに噛みしめていた。何も言わなくても圭の顔に「うまい」って書いてある。わかりやすい圭の表情筋。僕は表情があまり変わらないから、羨ましい。 「珍しいな。伊万里が朝からこんな手の込んだもの作るの」 いつも手軽に済ませてごめんね。 「昨日の夜のうちに仕込んでおいて朝、焼けばいいだけにしておいたから。そんなに手間はないよ」 具材をホイルに包んでおけば、焼くだけ。ホイル焼は肉でも魚でも、野菜も一緒に包んで作れるから、栄養バランスも良さそう。それに。 僕は冷めつつあるトーストを手に取ると、ホイル焼きの鶏肉や野菜を乗せて、もう一枚のパンで挟んだ。これやってみたかったんだ。 「あー!なにそれ、うまそう!」 ちゃぶ台に身を乗り出す圭が騒ぐ。でも騒ぐ圭よりも、目の前の即席ホットサンドにかぶりつく方を優先した。 さっくり焼けた食パンに肉汁やソースが染み込んで、鶏肉のしっとりしている食感を楽しむ。 「伊万里が、しあわせそうな顔してるー」 圭が自分の事のように微笑んでる。そう言われても、僕の表情は変わらないはずだけど。 「圭もやってみたら」 と皿を見ると、パンがもうなかった。さっきまであった四枚の食パンはいつ消えたんだろう。見ればホイルの中もほぼ空で、圭はホイルに溜まった肉汁を名残惜しそうに飲み干した。それでいて僕の持っているパンを見ている。仕方ないなぁ。 「ほら、どうぞ」 ちょっとだけ名残惜しくて、二口程かじってから、皿に乗せて圭の前に置いてやる。圭の顔は、食べていいの? でも伊万里の分が……でも食べたい……と葛藤しているのがわかる。 「食べないなら、僕食べるよ」 と、ちょっと冷めてしまった味噌汁をすする。顔をあげると、圭はしっかりとパンを持って、大きくかぶりついていた。 「そのまま食べてもうまいけど、これもうまいな」 「圭も、しあわせそうに食べるよね」 「当たり前だろ。伊万里の飯を食う以外のしあわせって無いんだから!」 その後も圭の味噌汁のおかわりをついだりして、僕もサラダと味噌汁を完食した。食器をさげようとすると、食べ終わった圭が「俺やる」と皿を重ね出した。 「伊万里、ご馳走さま」 「はい、今日も完食ありがとう」 味噌汁も空っぽだ。 いつもたくさん食べる圭。僕は少食な方だから、圭の分はどのくらい用意すればいいのか分からなかったりする。とりあえず朝は食パンを六枚食べるのは決まっているようだ。 食器をキッチンの流しに恐る恐る置いてきた圭に、僕はちゃぶ台を拭いていた布巾を畳み直しながら聞いてみる。 「圭。朝ごはんもっと増やした方がいいかな」 「なんで? あ、今日伊万里の分まで食べたから? 伊万里足りない?」 「ううん、僕は大丈夫」 圭は好き嫌いなくなんでも食べるけど、肉のメニューだとものすごく喜ぶ。でも朝から肉を焼いたりするのは、僕にはちょっと重い。でも圭が食べるなら。 「明日も朝、お肉がいいかな」 「いや、伊万里。いつもの感じでいいぞ?」 「もっと、手の込んだ料理した方がいいかな」 味噌汁は市販の味噌に粉末だしだから、鰹とか煮干しで出汁をとって作るとか。他のおかずもホイル焼きで物足りないなら、もっと……。 考え込む僕の頭に、圭の手が乗った。普段のがさつな手付きが嘘みたいに優しく、ふわふわと髪の毛を撫でる。 「さっき俺、余計な事言ったわ。珍しく手の込んだ料理、なんて言ったから気にしたんだろ?」 「……僕、料理好きだけど、上手ではないし、レパートリーも少ないし、だから」 こんな料理を作ったら圭が喜ぶかなとか、僕も食べてみたいなとか、それでやってるだけだから。自己満足を圭に押し付けていたら、迷惑だよね。 「伊万里。言ったろ、俺。いつもの感じでいいぞって」 「……いいの」 「いいよ! 俺はとにかく伊万里の味噌汁があれば、なんでもいい」 味噌汁か。じゃあ味噌汁をもっと極めるしかないか。……いや、違う。圭が言ってるのはそういう事じゃない。 「圭」 髪を撫でていた圭の手が、するりと耳に降りてくる。それにすり寄るように首をかしげて、圭の口元に手を伸ばした。 「いつも、ありがとう。美味しいっていっぱい食べてくれて、ありがとう」 圭がお腹すいたって言うと、僕も張り切って作ろうと思う。 圭が美味しそうに食べてくれるから作りがいがある。 圭が美味しいって言ってくれるから、僕も嬉しくて。 だからもっと頑張ろうって、また作ろうって思える。 「圭の為なら、いくらでも頑張れるよ、僕」 形のいい唇の端についたソースを親指で拭って、僕の舌で舐めとった。 僕の頬に当てられていた圭の手が滑り、顎に指をかける。いつの間にか腰にまわされていた腕が僕を引き寄せる。圭の指先に導かれるように顔をあげると、ぎこちなくも優しい唇がふわりと降りてきた。 今日の朝食の香りと、初めて使った香草の香り。 「なんでそんなかわいい顔して、えろい事するんだよ」 そんなつもりはなかったけど、気になったから。唇の端についたソースが。 「俺さ、伊万里の作ったものならなんでも食べる」 ぎゅっと抱きしめられる。苦しいけど、嫌じゃない。 「なんでも食べるから、そのうち……伊万里も食べちゃう」 ほんと、ぺろっと食べられちゃいそう。でも。 「僕だけに、してね」 *end*
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