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Ⅰ
その部屋のドアを開けた時、そこに保存されていた空気が一斉に玲香の方に流れてきた。
20年間凍結されていた時が、解凍されて再び動き出した。
佐倉玲香(さくられいか)、27歳。
彼女が20年ぶりに訪れたのは、半年前に86歳で亡くなった母方の祖母、木暮治代(こぐれはるよ)の家だった。
祖母は晩年の数年間は病気で入退院を繰り返した後、認知症で施設に入居していた。
玲香は病院や施設に祖母に面会に何度か行ったが、その家には久しく足を運んでいなかった。
都心から車で1時間以上かかる郊外にある祖母の家は、丘の上に建っていた。
大正時代に建てられたという石造の洋館で、都内のマンションに住んでいた幼いころの玲香には、別世界のように思えた。
洋館は、親の財産を元に輸入雑貨店などいくつかの事業を手掛けていた祖母の夫が、別荘として購入した。
祖母の夫は50代後半で死去し、1人になった祖母が気に入っていたその洋館に移り住んだ。
そして玲香は、その洋館に4歳から7歳までの夏の約1か月間、滞在した。
そこは玲香の母親の実家でもあり、パートの傍ら本を書いていた母親が夏のその期間に取材と執筆を集中的に行うためでもあった。
玲香は祖母もその洋館も好きだったので、親と離れて1人そこに預けられても淋しがるどころか、むしろ喜んでいた。
洋館には祖母の治代の他に、通いのお手伝いの新堀と、同じく通いで必要な時だけやってくる運転手の小島、それにトラ猫のブーケがいた。
新堀は40代1児の母で、木暮家の家事全般を担当していた。
祖母はあまり外出せず、買い物などはほとんど新堀にまかせていて、孫が滞在するからといってどこかへ連れて行くことは滅多になかった。
それでも玲香は、格別不服ではなかった。
なぜなら、その洋館の魅力がまだ幼く透明な彼女の心をしっかり捉えていたからだ。
彼女にはわかっていた、自分が洋館を「好き」以上に「愛して」いるということを。
そこでの日々は、毎日が楽しかった。
シャボン玉や塗り絵やお絵描きをしたり、祖母の弾くピアノを聴いたり簡単なレッスンを受けたり、絵本を読んだり猫のブーケと遊んだり……。
植物が生育に必要な水や光を享受するように、子供にとって過不足のない十分な生活環境だった。
祖母とお手伝いと猫と。それで十分淋しくない。心の中に、適切な日の光と音楽が鳴り響く日々だった。
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