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トライアド
事務所をたたむに当たって三人には申し訳ない気持ちしかなかった。
青山にある小さなオフィスの一室。もう家賃も払えない。騒ぎに巻き込んでしまった社長である私に対して三人はどう思っているだろうか。
「今までありがとう。ごめんなさい。こんなことになってしまって」
「加奈子社長が謝ることじゃないですよ。僕たちはこの三年、十分にいい思いをさせてもらいました。逆に感謝です」
そう龍一は言って、左右にいる龍二と龍三を見た。
龍二も龍三も涙を流している。いい子たちだ。
私は彼らに段ボールの箱を差し出した。
「こんなものしか記念に渡せないけど、これはあなたたちの力で獲ったもの。三人で持ってて」
それは、今までもらったトロフィーや楯。
彼らが数年前、確かに歌謡界で輝いていた証だった。
三人は翼のついた腕の先の鈎爪でそれを受け取った。
「加奈子社長と仕事ができてよかった」
龍二が言ってくれた。
「それじゃそろそろ」
そう龍三が言うと、各々二本の角の生えた頭を深々と下げる三人。
そして三人は段ボールを抱え、事務所を出て行ったのだった。
金の鱗をまとった一体の龍の後ろ姿が小さくなっていく。一つの体から伸びる三つの首を折った三ツ頭の龍を眺めながら、私は彼らとの日々を思い出していた。
元々はトカゲの近接種で、多摩の林の中で暮らしていた三ツ頭の龍は、体長わずか30センチほどの小動物だった。それが人間と変わらぬ大きさまでになったのは、林の中に不法投棄された産業廃棄物であるおからが原因だった。彼らは豊富なたんぱく源であるおからを貪婪に食し、みるみる巨大化し、遂には身長180センチにもなったのだった。もはや彼らが人間の目に触れない方が不自然だった。
音楽大学を卒業し、芸能プロダクションに勤めて5年目の当時の私は、テレビの情報番組に出ていたそんな彼らに注目した。彼らは三つの頭がそれぞれ人格を持ち、三つの声が出せた。その声はどれも深くふくよかだった。しかも彼らは三つの頭で三和音のハーモニーを奏でることができたのだった。根音、第三音、第五音が重なる魅惑のトライアド。
私は彼らに接触した。できればおからを食べながら静かに林の中で暮らしたいという彼らに対し、私は彼らと仕事をするべく、粘り強く交渉を重ねた。林で静かに暮らすか、芸能界にチャレンジするかの選択。彼らは遂に、私と仕事をすることを選んでくれたのだった。
そこからは電光石火のごとく事が進んだ。
私は芸能プロダクションを辞め、自ら事務所を立ち上げた。そして、かねてからデビューを予定していた熊本の美少女、ナンシー阿蘇と彼らを組ませ、遂に、デビューシングル「ブルーナイト六本木あなたと」を出すに至ったのだ。
「ナンシー阿蘇とブルードラゴン」
それが彼らのグループ名だった。
ナンシー阿蘇の可憐な花のような歌声に、重なる彼らのトライアドのコーラス。かつてのムード歌謡を復活させた「ブルーナイト六本木あなたと」は空前のヒットとなり、彼らは一躍時の人となって、その年の数々の賞を総なめにしたのだった。
私たちはそんな毎日に有頂天だったけれど、しかし世の中の流行りすたりは早かった。発表したセカンドシングル、サードシングルは同じ路線の曲だったが、そもそも物珍しさで彼らを聴いていた客層は驚くほどの速さで彼らへの興味をなくしたようだった。
少女の歌声とトライアドによるムード歌謡はやっぱり時代遅れだったが、とりわけ、一体の龍の醸し出すコーラスは三和音しか出せないのが欠点だった。これでは長調と短調しかできない。しかし世の中で流行っている曲は今や、四つ目の音、五つ目の音を含む、7th、9thといった複雑なコードを用いたものが主流だった。
そんな折、ナンシー阿蘇のお母さんが実家で突然倒れ、彼女は芸能界を引退し、介護のため熊本へ帰ってしまった。
彼女を失った三ツ頭の龍と私は心機一転、その後も新たな楽曲に挑戦したものの、鳴かず飛ばずだった。そして、遂には曲を発売してくれるレコード会社さえ見つからないようになってしまった。資金も底を尽いた。
こうして私は事務所を畳み、三ツ頭の龍と別れたのだった。
そして、いつしか私も業界を離れ3年がたった。
かつて私が社長をしていた事務所で三ツ頭の龍と別れたきり、彼らとも連絡が途絶えていた。
そんなある日、音楽教室でピアノを教えている私の所に、来客があると内線を受け、私はスタジオを出てロビーに下りたのだ。
果たして、私の目の前には金色に光る体躯が待っていた。
「龍一、龍二、龍三」
「加奈子社長。ご無沙汰してます」
三人は声をそろえて言った。
「もう社長じゃないよ、私。それより」
私が瞠目していたのは、金色の体躯がもう一体並んでいることだった。
龍一、龍二、龍三に比べ、ほんの少し小さなこれも三ツ頭の龍。
龍二が言った。
「息子たちです」
龍三が言った。
「僕たち単性生殖なんで」
と、突然、もう一体の龍の真ん中の首がシャウトの利いた歌を歌い始めたのだった。それに合わせコーラスをつける他の五つの首。
これは、7thだ、9thだ。わあ。
歌い終わると、満足げにこちらを見つめる六つの首。龍一が口を開いた。
「右から、龍平、龍童、龍太郎です。どうですか?」
「どうですもなにも、これはすごい」
「もう一度やりませんか」
「うん。私でいいの?」
「決まりですね」
「ありがとう、戻って来てくれて。ね、あなたたち、あの後何してたの?私、気になってたんだよ」
「ははは。名古屋でね、プロ野球の応援に駆り出されてました。重宝されてた」
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