1、プロローグ -つまらないお話-

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転入してから一ヶ月が過ぎて、かなり友達が増えた。楽しいと感じる時間も増えて、作り笑いよりも心からの笑みが多くなった。 教室の移動も安定のメンバーになり、最近は東出と一緒に行動している。 今日は部活見学をした。僕は前の学校でも入っていた美術部に入部するつもりだったけど、友達にいろいろな運動部に連れ回されて、まだ入部できないでいた。 どの部活もかなり手厚い待遇をしてくれて、マネージャーくらいならしてもいいかな、なんてほだされてしまっている。 今日は西園寺と東出が入部しているテニス部に行った。外での部活だったから日差しが強くて、早々にダウンした僕は部活終了時刻よりも早めに帰ることにさせてもらった。 東出が校門までついてきてくれる。 「綾瀬、大丈夫か。家でちゃんと休め。そんで、明日は元気に登校しろよ。じゃないと俺がぼっちになるからさ」 「東出は友達多いじゃん。僕なんかいなくても平気でしょ」 「何言ってんだよ。今はお前といるときが一番楽しいんだよ。だから来いよな」 東出は恥ずかしそうに目を逸らした。 「わかったよ。じゃあね。練習頑張って」 校門で東出と別れる。 僕といるときが楽しいなんて言ってくれる友達は何年ぶりだろう。僕も楽しいし、その楽しさを共有できる相手がいることは、こんなにも嬉しいことなんだと実感する。 前に楽しいと言ってくれたやつは僕の一方通行だった。 一番の親友だと思ってたのに、あっさりと裏切られた。何も言わずに逃げていった。もう会うことはないだろう。 あいつは今でも憎い。 でもやっと、本当の友達に出会えたかもしれない。人生も捨てたもんじゃないなと思った。 弾む心持ちで帰っている途中、水筒を忘れたことに気がついて取りに戻った。 テニスコート横の水道のところに置いてあった。 水筒を回収して帰ろうとしたところで、テニスコートの方から西園寺と東出の声が聞こえてきた。ひと声かけてから帰ろうと思って歩みを進めたところで、靴紐が解けているのに気がつき、その場にかがんで結び直す。 「綾瀬は完全に騙せてると思いますよ」 東出の声から嫌なワードが聞こえてきた。どうやら、最悪なタイミングで出くわしたらしい。 二人からは植木の陰になって僕の姿が見えていない。 「でも、テニス部に引き込むのは難しいかもしれませんね」 次に西園寺の声が聞こえてくる。 「まあいい。俺たちのグループにいてもらうだけでも他への牽制になるだろ」 牽制とは何のことだろう。 二人の会話を聞きたくないけれど、ここで立ち上がったらバレてしまうから、隠れているしかなかった。 「奏先輩の弟ってだけで、あんな底辺にも付加価値がついてるんですもんね。それにしても先生も先輩もよくやりますよ。綾瀬を使って、奏先輩に近づこうとしてるのバレバレだし。まあ、本人は利用されてることに気づいてないみたいですけど」 東出が何を言っているのか理解できなかった。 いや、本当はわかる。 でも、理解したくなくて、持て余した言葉が頭で螺旋のように回っていった。 「お前が綾瀬と一番仲良さそうなのにそれを言うのかよ。俺が見込んだ腹黒さなだけあるな」 「腹黒なのは認めますけど、綾瀬と仲いいとかやめてくださいよ。奏先輩の弟じゃなきゃ、あんなやつ相手にもしないです。仲いい感じ出すのもマジでキツイんですよ。吐き気がするし」 聞くに耐えない話だった。 信じたくない。 体に力が入らなくなる。耳を塞ぐ気力もなかった。 「攻略が簡単すぎて、楽しみがいもなかったですよ」 「女落とすほうがよっぽど難しいな」 もう、これ以上聞きたくない。バレてもいいから、逃げ出したい。でも体が言うことを聞かない。足が動かない。逃げられなかった。 「確かにそのとおりですよね。女よりもチョロい、女顔の男!初めてマスクの下見たときはびっくりしました。本当に可愛い顔してましたよね」 顔の話が出た。 やめてと心の中で何度も何度も叫ぶ。 胸が痛い。 頭の中も嫌な記憶が目まぐるしく回っていく。 思い出したくないのに、意識すればするほど、記憶は鮮やかに蘇る。 かき消せるものなんてない。 五感が失われていく。 いや、聴覚だけが鋭くなっていく。 今、一番いらない感覚なのに。 「好みなのかよ。じゃあ付き合えば」 「冗談きついですって。でも、女であの顔だったら文句なしですよ。うちの学校の女子ブスばっかりだし」 二人は笑いながらテニスコートへと戻っていった。
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