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僕が中学二年生になる少し前に、父が再婚して、綾瀬奏が兄になった。
兄と初めて会う日はとても緊張した。
その日は今の家に初めて行った日でもある。
ハナノミチ研究所の敷地内に建てられたその家は、あまりに大きくて迷子になりそうだった。
父に案内してもらいながらリビングに行くと、ダイニングテーブルの前に義母と兄が座っていた。
兄は一個だけ年上って聞いていたのに、雰囲気がすごく大人っぽくて圧倒されてしまった。
でも、堂々としていて、自信に満ち溢れた人かというとそうではなかった。
むしろ、この人からは他人に関する興味というものが全く感じられなかった。
兄になるこの人と会ってからまだ数分しか経ってないけれど、僕がそう感じた理由は兄の目だ。光がない。まるで死んでいるみたいで、生気が感じられなかった。
体も筋張っていて、肌も青白い。
父親と義母の会話にも無関心で、たまにゆっくりと伏し目がちなまばたきをするだけだった。
でも、何も言葉を発さなくても、そこにいるだけで威圧感がある。
多分、この人は無意識のうちに人を緊張させる何かを持っているんだと思った。
僕は怖くて目も合わせられなかった。
やっとの思いで合わせたその目は、濁ったように暗く、僕の思考がすべて吸い取られていくような感じがして、すぐにそらしてしまった。
兄になるこの人は、小学生の時に、自分の父親が殺されるところを間近で見たらしい。
その影響からか、口数が少なくて表情も乏しいと聞いているけれど、嘘か本当かはわからない。
義母も愛想はなく、形式的な挨拶をしただけで、家族になったようには思えなかった。
でも、父親だけはいつにも増して笑顔で、兄に媚びているみたいだった。父親が違う人のように見えて気持ち悪かった。
顔合わせをすませると、忙しい両親はすぐに研究室に戻ってしまった。特に父親は日本トップレベルの技術を持つハナノミチ研究所の副所長になったばかりで、仕事が山積みらしい。
広い吹き抜けのリビングに、僕と、僕の兄になった人だけが残された。空気が重すぎて帰りたかった。
でも、今日からはここが僕の家だ。ここ以外に帰る場所はない。
何をしていいのかわからなくて、ダイニングテーブルの椅子に浅く腰掛けたままでいると、向かい側に座っていた兄が口を開いた。
「俺のことが怖いんだろ」
中学生にしては出来上がった低い声だった。
いきなりのことに驚きが隠せない。
「え、えっと」
否定しようとしたけど言葉が出ない。これでは怖いですと言ってるのと同じだ。
まあ、実際に怖いって思っているけれど。
「やっぱり、怖いんだな」
兄が乾いた声で、顔色一つ変えずに言うからもっと怖くなった。
謝ろうと口を開く。
でも、その瞬間、兄が静かに笑った。
「お前わかりやすいな。思ってることがすぐ顔に出てる」
目にも光が少し入っていて、怖さが軽減されている。
「マスクをしてるのにわかるんですか」
「俺レベルになると何でもわかるんだよ」
この人が言うと冗談に聞こえない。
兄に名前を呼ばれる。少し顔つきが真面目になっていた。
「俺の兄弟になったなら今から言うことは守れよ」
しっかり聞こうと思うと背筋が伸びた。
「はい」
「まず、敬語禁止」
顔を指差される。細く骨張った指だった。
「わかった」
自分の切り替えの速さに自分で驚いた。
「よし。次に、俺には絶対触るな。冗談抜きで吐くから」
「吐くの?」
「そう。肌の感触とか体温とか無理。吐く。あと、俺の部屋に入るのも禁止な」
「うん、わかった」
「それ以外は特に言うことないな。唯我はなんかある?」
「今のところはないかな」
「そっか。じゃあ、俺は自分の離れに行くから。当分出てこないと思う。しばらくお別れだな」
同じ家に住むのに「しばらくお別れ」と使うのは違和感だった。けれど、実際にこの後1ヶ月は顔を合わせることはなかった。
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