1、プロローグ -つまらないお話-

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計算高く生きるのは疲れるし、腹の探り合いなんてしたくない。 いろいろなことから逃げてきた僕では考えても無駄だし、正直なところ、この状況もどうでもよくなってきた。 僕は「綾瀬」の人間だけど、ここの研究所で働きたいわけでもないし、権力もいらない。 とりあえず、いまここに居場所がほしい。 居心地が悪いのはもう嫌だ。 いつでも突き刺さる視線とヒソヒソとかわされる内緒話。こういうのはいつまでたっても慣れることはなかった。   前の学校での記憶がよみがえる。あんな日々がまた来るのかと思うと、毎日お腹が痛くて本当に限界が近い。 僕はマスクの下に申し訳なさそうな顔を作ってみせた。 「ごめんなさい、全然わからないです。西園寺さんは普段からこんな問題解いてるなんて、すごいですね。尊敬します」 なるべく抑揚をつけて馬鹿っぽく見えるように喋った。 少しの間の後、西園寺はいきなり顔色を変え、笑いながらワークを閉じた。 「そっか。手間取らせて悪かったね」 さっきまでの敬語が一瞬にして取り払われた。これで僕と西園寺の立ち位置が決まった。 張り付いた空気は一瞬で緩み、何事もなかったように、クラスの日常が戻っていく。 僕は胸をなでおろした。 今のやりとりでクラスメイトも確実に僕を下に見たはずだ。でも、それでいいと思った。 その日を境にたくさんのクラスメイトに声を掛けられるようになった。 「よかったら、俺たちと一緒に弁当食べよう」 西園寺の取り巻きが話しかけてきた。たぶん名前は東出だった気がする。 このグループにいられたら安心だと思う。 それでも迷った。食事のときは、当たり前だけどマスクを取らないといけない。あまり顔を見られたくない僕には、かなりリスクの高い行為だった。 でも、断ったらこの後どうなるかわからないから僕はとびきり弾んだ声で返事をした。 「一緒に食べたい」 旧校舎の空き教室がたまり場らしい。 旧校舎といっても、設備は新しくて授業でもよく使われている。 西園寺と東出を含めて僕以外に5人いた。それぞれ椅子に座ってくつろいでいる。 「西園寺さん、綾瀬を連れてきました」 「いきなり誘って悪いね。さあ座って」 西園寺は言葉では悪びれてるくせに、態度がでかかった。 「誘ってくれてありがとうございます」 お礼を言ってから腰を下ろした。 みんなは食べ始めるけど、僕はなかなかマスクを外せないでいた。 「綾瀬、早くしないと、次は移動教室だから時間なくなる」 隣に座っていた東出が僕を急かす。 「そうだよね」 僕は恐る恐る手をマスクに持っていった。怖い。 顔を見られたくない。それでも意を決してマスクを取った。 全員がチラッと僕の顔を見た気がした。 気にし過ぎなのかもしれない。 僕の顔は大丈夫なのか、みんなの視線を気にしてしまう。 結局、うつむきがちのまま会話もぎこちなくなって、ご飯もあまり食べられなかった。 でも、思ったよりもみんな普通に話してくれて安心した。最初の頃の冷たさが嘘みたいに、優しくしてくれた。嬉しかった。やっと居場所が出来たと思った。
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