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高下駄を履き、内八文字で歩みを刻む。降りそそぐ陽光をまばゆく跳ね返す櫛や簪が、里津の頬の近くできらきらとまたたいていた。
妓楼の玄関から少しずつ、貴誉の許へと近づく。
池泉庭園の中央の橋を渡り、大門の前まで来た。
「ようこそお越しなんし。葛城様…」
最後の廓言葉を口にしてみれば、ここで過ごした九年間が走馬灯のように脳内を駆け巡る。まさかこの場所から、こんな幸福な思いで出られるとは夢にも思っていなかった。
「この姿も今日が見納めだな」
貴誉が満足そうに笑う。里津もまた万感の思いをこめてほほえみ、貴誉を見あげた。
今日、貴誉と共に華香屋を出る。
華香屋では身請けの際に主人を出迎えさせ、短い道中をおこなわせる。
娼妓の花道の意味合いもあれば、豪奢な着物を新調させてそれを廓に置いていかせるという、最後まで計算高い目論見もあった。
道中の後は昼餉を兼ねた宴席を設け、それで娼妓はようやく男娼の身の上から解放されるのだ。
最後の宴席は豪華なものとなった。
これもまた身請け先の男が設えるきまりで、楼主や番頭、男衆をもてなし、娼妓たちを含めた廓の全員に総花と呼ばれる祝儀を配る。
まるで結婚式のような宴席も終わり、新しく貴誉が用意してくれた若草色の着流し姿に着替えた里津は、妓楼の玄関へと急いだ。手に小さな風呂敷包みを持つだけだった。これが全財産だった。
中央階段正面の玄関では、貴誉の他に鬼灯と桔梗もいた。
「俺たちは、ここまでです、兄さん」
鬼灯が硬い口調で言う。娼妓は玄関から外へ出られないからだ。
「うん…見送ってくれてありがとう、鬼灯、桔梗」
張り見世支度前の化粧っ気のない二人が、真面目な顔で頷く。
「友太です。俺、友太っていいます。長い間お世話になりました、里津兄さん。可愛がってくださってありがとうございます。どうぞ、お幸せに」
鬼灯の言葉に息を飲んだ。耐えていた涙が堰を切ったように溢れだす。
「友太というのか…! 元気で、友太」
「はい。予定では年季明けまであと二年です。でも、楼主様と話あって、もう一年多く働くことで、桔梗と一緒にここを出られるように約束してもらったんです。いつかお会いできますよね」
「もちろん…!」
二人の未来がどうかまばゆいものであるようにと、そう祈らずにはおれない。
貴誉が懐から名刺を差し出した。
「ここにいるからいつでも会いに来るといい。困ったことがあればなんでも相談してくれ」
「はい。ありがとうございます」
青年らしい微笑を清々しく浮かべた鬼灯が礼儀正しく頭をさげる。
「よかったですね、里津さん。ここに撫子兄さんがいたら、またどんな嫌味を言われたかしれませんから」
桔梗の茶化すような声に、指の先で目尻をこすりながら里津は口角をあげた。
「ああ、よろしく伝えてほしい」
撫子は今、三川から貸し出しを受けている。三川が気を利かせてくれたらしい。彼も来月には身請けされてここを出るのだった。
「地金は桔梗が上手に育てますよ。こいつは生き物が好きだから」
鬼灯が明るく続ける。
「ありがとう。ありがとう二人とも、本当に…!」
あらためて別れの言葉を交わした。
貴誉と廓を出る。
いったん立ち止まり、振り向いて廓を眺めた。嬉しくて幸せなはずなのに、なぜかぽっかりと胸に穴が空いたような、寂しくて不思議な感覚がする。
「よく頑張ってこらえたな。里津は俺の誇りだ」
労わりに満ちた貴誉の言葉に、再び涙がわきあがりそうになる。短い髪にさらりと指をかきいれられた。
「この髪型…可愛いな。昔みたいだ」
はにかんだ声で言う。
「いや。こんなときにもう少し気のきいた台詞はないものかな。まるで青臭いガキみたいだ」
恥ずかしそうに視線を側める。そんな軽口を聞くのも久しぶりで、なんだかどきりとした。
「貴誉様…」
ほんのり頬を染める貴誉に、里津の心臓はとくとくとかしましい。
好きで好きでたまらない。彼が高校生の頃から、ずっと。
「ありがとうございます」
自然と頬がほころんだ。そんな感動を噛みしめながら里津は続けた。
「髪も売れるのだそうで、切られたんです。でも、長いほうがよろしければこれから伸ばします」
「どちらでもいいさ。俺はどんな里津も好きだ」
甘やかな科白と共に肩を抱きよせられた。
「これからはずっと一緒だからな」
欲しかった言葉に里津は陶然とする。
そっと触れあった唇はいつしか深く咬みあわされていた。
夕陽が静かな森の木々を照らすなか、お互いの存在を貪るようなキスを交わしていた。
(了)
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