一切れのパン

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一切れのパン

一切れのパン * むんむんと異臭の立ち込める、貧民の暮らす村。建物はおんぼろで、木々も腐食しきって倒壊寸前だ。 俺はそんな村に生まれた貧民の捨て子で、常に腹を空かせていた。 ある時は服に水を吸わせて後に絞って飲んだ。 ある時はねずみを焼いて食った。 ある時は店からりんごを盗った。 だってそうでもしなきゃ、腹の虫が鳴き止まないんだ。 死なないためにはそうでもしなきゃならない。 俺はもう、何度も何度も死の淵を見てきた。 京の貴族から見ればただの雑草であるものも、俺から見れば最高級の料理だ。 腹が空いた。 もうずっと空いている。 満腹という言葉を知らない。 何でもいいから何か食いたい。 木造の壁に背中を預け、項垂れる。 「美味しい焼き立てパン、食ってみたかったなぁ……」 もう意識が朦朧としている。 こうやって人は死んでいくのだと、今実感した。 頭に浮かぶ、茶色い焼きめのついたパン。 ふわふわホクホクで、外はパリパリ、中はふわふわ。  あんなの食べたら、もう何日でも一生でも生きて行ける気がする。 まだ一度も食べたことのない、俺には遠すぎる存在。 「はい」 まだ一度も食べたことのない、俺には遠すぎる存在。 それが、眼の前に差し出された。 鼻を緩ます良い香り、見るだけでよだれの垂れる茶色い焼き目、それを差し出す白い手。 顔を上げると、白肌の少女がいた。 少女と言っても、俺とあまり年齢は変わらないくらいだ。 「食べる?」 彼女が首を傾げると、俺はパンを優しく受け取って、大口開いて噛みついた。 ああ、俺は今、とても幸せだ。 空いていた腹は一体に満たされるように……否、満たされているのは心だ。 貴族にとっては、毎日食べることのできる、なんの関心もないこんなパンも、俺にとっては幸せそのもの。 ぽろぽろと溢れだした大粒の涙。 焼き立てパンが食べれたこと、まだ死なずにいられること、そして何より。 「君のような人に出会えて良かったよ」 俺は、口いっぱいにパンを頬張って、彼女に笑顔を向けた。 目からは涙を溢し、でも口では笑い、そしてその口は一生懸命にパンを食べている。 変な様子だろう。 でも、彼女は一瞬驚いてから、すぐにクスッと笑った。 「そんな、大袈裟な」 彼女は俺と似た、綺麗ではない、寧ろ言葉を悪くすれば、汚い服を着ていた。 そんな彼女が、焼き立てパンを俺にくれたのだ。 俺は感動で目を潤した。 少女は俺の隣に腰を掛け、遠くでパンを狂ったように食う大人たちを細い目で見つめながら言った。 「私も、あなたみたいな人に出会えて幸せよ」
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