東京は春が近く

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*  侑奈をせめて駅までと見送り、私は再びアパートに戻った。  一人の部屋で着替えて、メイクを落として、お風呂に入り、部屋の中に戻る。  いつもの部屋なのに、いつものルーティンを繰り返しても、たった一通の手紙がこの空間で強烈な存在感を放っている。  ずっと前に頭の中から消した記憶が次々に蘇ってくる。  あの頃、私は東京の大学に進学していた。  蒼佑とは幼馴染で、中学三年の冬に告白されて付き合った。高校の卒業で地元に残る蒼佑と東京の大学に進む私は離れた。  遠距離恋愛になって一年が過ぎようかという大学の春休み、私は彼に「来週、そっちに帰るから」と連絡をしていた。  でも、帰ることはできなかった。  大きな地震が起きたからだった。  そのとき、私は自由ヶ丘のレストランでバイト中だった。大きな揺れだった。  ニュースで震源地が東北だと知った。背筋に寒気が走った。慌てて携帯電話で実家に電話するも繋がることはなかった。  蒼佑にも電話をかけても繋がらなかった。メールを送った。何かの偶然なのか、「大丈夫、無事」という返事が来た。  ああ、蒼佑は大丈夫なんだ、まだ両親の無事もわからないのに安堵していた。  両親が無事に避難をしたことがわかったのは、二日後のことだった。  そして、蒼佑が助からなかったと知ったのは、いつだったのか、もう覚えていない。  メールをくれた後、蒼佑は家族を迎えにいこうとした。そのとき、津波がやってきたのだ。蒼佑は乗っていた車ごと巻き込まれてしまった。  「ダメだった」と誰から聞かされたのかはもう覚えていない。ただそれを、彼の死を聞かされたあの瞬間、私の中で何かが壊れてしまった。  それから一体、どんな生活をしていたのか、毎日泣いて過ごしていたことだけは覚えている。  蒼佑からメールをもらった携帯電話をずっと握りしめて過ごしていた。また連絡がくるんじゃないかと。  でも、連絡が来ることはなかった。  何人もの友達が私のもとに来てくれた。  でも、どんな励ましも、慰めも、叱咤も、同情も何も私の「空白」を埋めることはできなかった。  何度も夢の中だけで、蒼佑は現れて私に笑いかける。  好きなのに文句ばっかり言ってた中学生の日々、くだらないことを話して寄り道をしながら帰った高校生の日々、一人暮らしの私の部屋に来て蒼佑がやけに緊張してた大学生の日々、どんな夢も苦しかった。  もう、あなたにここで会うのがつらい。  私は夢の中で蒼佑に告げた。  蒼佑は少し驚いた顔をした後、いつものように微笑んだ。  そこで私は夢から覚めた。  それ以来、蒼佑は夢に出てくることはなくなった。  私は蒼佑を忘れることにした。  私が立ち直るためには、彼を頭の中から消してしまうしかなかった。  蒼佑を消したことで私は前に進むことができた。  また笑うこともできるようになった。  今度の日曜には結婚式を挙げる。  薄情。  そう言われても否定することはできない。実際、今日まで彼の妹である侑奈のことなど記憶の断片にもなかった。蒼佑に関わるすべてを消してしまっていたからだ。  そうしなければ生きていけなかったから。  そうしなければ息もできなかったから。  そうしなければ蒼佑だって悲しむと思ったから。
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