ピンクの看板で受付に人がいなくて水槽のある宿屋は普通の宿屋ではない(確信)

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ピンクの看板で受付に人がいなくて水槽のある宿屋は普通の宿屋ではない(確信)

外に出た片喰は、非常にありがたい状況に出会っていた。 「ル…ルイ…」 「怖い?あ、重い?ごめんね、僕魔道具なんてあんまり使わないからさ…これしかなくて」 ルイは庭に出るなり、白衣のポケットの中に仕舞われていた小さな部品を取り出して地面に投げつけた。 ちかちかとした光と共にそれは人間ひとりが寝られるくらいの大きさのカプセルへと変化する。 お薬カプセルのような色味のそれには長く太い紐のようなものに縛られた腰掛けがついており、用途が不明すぎるものだった。 ルイはそれを軽々と上に投げる。 カプセルは無重力空間で持ち上げられたようにすっと宙に浮いた。 カプセルに縛られた腰掛けは乗り物のようになり、全体的に見れば気球にぶら下がった空飛ぶブランコだ。 そこへ本当にブランコのごとく座るようにと指示された片喰はしっかりと紐を握りながら恐る恐る腰掛ける。 そして、その片喰の膝の上に当然のような顔をしてルイが上から座ってきたのだ。 声をあげるよりも先にカプセルブランコは浮上し、見る間に空高く舞い上がる。急なアトラクションに片喰は文句を言うタイミングすらも失っていた。 「僕の魔道具なんだけど、カプセルの中に患者を入れて回復しながら搬送するためのものなんだ。だから乗るところなくってさ」 「そ、そ、そ、そうか」 「不便だから乗れるように改造してもらったんだけど、まさかふたりで行動することがあると思わなかったんだ」 「そ、そ、そうだよな」 ルイの話がほとんど頭に入ってこない。推しの尻が自分の膝を温めている。推しの手が自分の手の上に添えられている。推しの銀髪が目の前を行ったり来たりしている。推しが軽くて小さい。そして今いる場所は空。 片喰は完全に処理落ちしていた。 「さっきも言ったけど、毒の洞窟は遠くてさ。今日はもしかすると泊まりになるかもしれない。宿屋があるといいけどなぁ」 「と…とまり…ははっ」 さらなる爆弾も飛んでくる。箒に乗った女性や謎の生き物に跨った集団など様々な珍しい光景とすれ違い、足元には煌びやかな街の絶景が広がっている。 ただ、カプセルは見た目から想像していたよりも速度が出るため少し肌寒く、紐を握る手は冷たい。 優雅な空の旅とはいえないが、片喰は死ぬなら今かもとさえ考えていた。 「ドクオオトカゲ自体は戦闘に長けた種族ではないし、簡単に倒せると思うんだけど。調査っていうのがね…あんなところに一体何が好き好んで寄り付いているのか…」 ルイの声を聴きながら、やはり死ぬよりもこの愛おしい推しを守り抜くことを決意した片喰は必死にゲームの戦闘を思い出していた。 移動、ジャンプ、回避の他にも必殺技や能力と職業技のコンボなどもあった。 ただ、ファンクションキーもLRボタンもない以上、ルイを守れるかどうかは片喰の肉体の強さと能力を操るセンスにかかっていると言っても過言ではない。 「ルイ…俺…がんばるから…」 その後、何度か休憩を挟みつつ山を越え野原を超えて森の入り口まで来たところでルイはカプセルを地上におろした。 何時間くらい乗っていたのだろうか、腰が痛い。 この森の奥に洞窟があるらしい。まだ暗くはなっていないが日は傾き、今から森に入れば着く頃には真っ暗になっていそうだった。 「うーんやっぱり今日は泊まって、明日朝いちの方がよさそうだね。近くの宿屋に泊まろう」 「え、あ、あぁ…」 急遽発生したお泊りイベントに片喰は内心心臓を吐きそうになるほど緊張しながらルイに着いていく。 森の入り口には小さい町があり、派手な宿屋や飲み屋が何軒か並んでいた。男女が酒を飲みかわし、楽し気に腕を組んで歩いている。 「随分派手な宿屋だね。中央街にはないタイプだなぁ。こことか、可愛い外観じゃない?中も綺麗そう。ここにしようか」 ルイが指さしたのはピンクの看板が下がっている宿屋だ。 中に入ると、宿屋の受付らしくない狭いつくりになっていた。狭いくせに熱帯魚の水槽など置いてある。 ゲーム制作時に用意した回復宿屋はもっと質素で受付も広かったはずだ。片喰は嫌な予感がした。 「すみませーん。…受付に人がいないな。ん?」 ルイが呼んでも受付に人が出てこない。ふと手元に目をやると、鍵が入っている透明なボックスがいくつか並んでいた。 「302、205…もしかして部屋の鍵?前金650イム…なるほど、ここで前金を先払いして鍵を受け取るんだね」 「ちょっと待て、ルイ」 「ん?」 こんなセルフサービスな宿が訳ありじゃないわけがない。 片喰はルイを止めたが、ルイはすでに透明なボックスにお金を入れてしまっていた。 がちゃ、とボックスがあいて鍵が出てくる。 「どうしたの?」 「あ、いや…」 鍵には203という数字とふたりの人間が描かれている。 「これ、二人部屋だと思うんだ。前金にしてもちょっと安いけど…行こうか」 ルイはおそらくツインベッドの二人部屋を想像しているだろうが、片喰はそれが外れることを予感していた。 きっとここはキングベッドだ。やたらと大きいベッドがひとつあるタイプの宿に違いない。 階段を上って、203号室まで行く。階段の案内板や部屋番号が光っている。 こんな親切設計でおしゃれでかわいい見た目でセルフサービスな宿屋、あそこしかない。 部屋に入ったルイはその広さに驚いていた。 「うわ、すごい広いよ!…ん?」 しかし、やはり部屋にはキングサイズのベッドがひとつ置いてあるだけだった。 そして、謎に透けているシャワールームに、鍵のないトイレ。ムーディな音楽に、不親切な暗い照明。 「あ、え?こんなに広いけど、ひとり部屋…だったみたい…」 引き返そうとするルイの後ろでドアががちゃりと閉まる。そして、お金を全額払わないと開かないドアへと変貌したのだった。 「え?え…待って、ここ…」 ルイも気が付いたようだ。 それきり絶句して何も言わなくなったため、気持ち悪がっているかもしれないとそっと顔を覗き込むと、予想外にもルイは耳まで真っ赤になっていた。 「ル…」 「ごめん片喰さん…ここ、…その…」 「あー、なんというか、大丈夫だ。俺こそもっと早く言えばよかったな」 意外過ぎる反応に片喰まで赤くなる。 設定もなく立ち絵だけだったルイは、サイドストーリーでは女を口説いたりきゃあきゃあ言われたりとなかなか遊び人そうな軽薄さが垣間見えていた。 若く面のいい医者というだけで、女が放っておかないだろうというイメージだったのだ。 てっきりこういう場所にも慣れているかと思ったが、そうでもないようだ。 とりあえずルームサービスのようなものがないか探す。 閉じ込められてしまった以上、ここで食事などを注文するほかないだろう。仕組みが元居た世界のいわゆるラブホテルと同じだと願う。 「あ、あの、僕、違う部屋とってくるよ…!」 ルイがお金を払って出て行こうとする。同性でそこまで意識されるとは思わず、片喰は反射的にルイの腕を掴んだ。 「待て、ルイ。そんなの払わせられねえよ。俺はソファで寝るから毒については安心しろ。それに、男同士だろ」 「え、あ、あ、そ、そっか……いや、でも…」 ルイはひどく狼狽しているようだった。 確かに片喰には下心がある。なんせオタクなのだ。 ルイが二次元だったときから息子が何度世話になったかはわからない。しかし本来は男同士、多少の抵抗はあれどそこまで危ないものでもないだろう。 片喰も、推しだからこそ軽率に手を出すことなどするはずがない。 「落ち着けよ。ひとまず風呂でも行ってこい」 指さした風呂は不必要に全面スケスケのシャワールームだ。 「あー、えっと…」 今度は片喰が赤くなり、ルイはそれを見て笑った。
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