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月日は廻り、僕は中学二年生に、聡一兄ちゃんは高校三年生になった。
兄ちゃんは国立大を受験するために毎晩遅くまで勉強をしていた。合格したら春にはこの家を出て行ってしまう。僕はとても複雑な気持ちだった。
そんな中、僕にとって衝撃的な出来事があった。
ある日学校から帰宅すると、玄関に見慣れないローファーが綺麗に揃えて置いてある。
「わ! もしかして前言ってた弟くん?」
ハッとして顔を上げると、リビングの方から、兄ちゃんと同じ高校の制服に身を包んだ女の人がやってきた。
「うん、弟のハル」
「ハルくん! 可愛い! 私アリサって言います。聡一くんの彼女の――」
彼女? 聡一兄ちゃん、彼女がいたの?
アリサさんの後ろに立つ兄ちゃんの顔を見る。あぁ、なんだか、いつもと雰囲気が違う。柔らかくて、色っぽくて――
僕は何も言えないまま、自分の部屋へと引っ込んだ。
胸がじくじくと痛んだ。一体いつから? どうして話してくれなかったの。
深呼吸をして、荒くなる呼吸を必死に落ち着かせる。
話さないのは当然だった。僕たちはお互いに、自分自身の話をほとんどしない。あえて言葉にしたくない不安も寂しさも、兄ちゃんのそばにいるだけで自然と癒えてくれる。少なくとも今までは、そんな関係がとても心地よかったのだ。――けれど。
アリサさんは僕の知らない兄ちゃんのことをたくさん知っているんだろうな、とか、もう恋人らしいことをたくさんしているんだろうな、とか、そんなことが頭の中でぐるぐると回って、とてもじゃないが他のことは何も手につかなかった。
僕はベッドに入って頭から布団を被り、痛むこめかみを枕に押し付ける。
――こんな感情になるの、どう考えてもおかしいだろ。
大事な家族が誰かに取られて寂しいとか、そんなんじゃない。母さんが彼氏――今の父さんのことだ――を紹介してきたときだって、驚きと多少の不安はあったけれど、決して今みたいに取り乱したりはしなかった。
僕は今、きっとアリサさんに嫉妬をしているのだ。
鋭い痛みが胸を襲って、涙があふれた。
僕と聡一兄ちゃんは家族であり兄弟だ。苗字だっておんなじだ。一体どこで間違えたんだろう。僕はいつからおかしかったんだろう。
* * *
僕は一刻も早く聡一兄ちゃんへの想いを断ち切る必要があった。きっと独りぼっちで寂しさを抱えていたところに彼と出会ってしまったから、頭が勘違いを起こしてしまったのだ。だって、血が繋がらないとはいえ同性の兄にこんな感情を抱くなんて、どう考えても『普通』じゃないのだから。
僕は放課後になると、強制参加の部活動でなんとなく入っていた『家庭科部』の部員たちと積極的に交流するようになった。『家庭科部』は少人数の部活で、僕以外全員が女子生徒だった。
「ハルくんってすごく料理上手だよね」
「……そうかな」
「私、家庭的な男の人がタイプなんだよね」
そう言ってそっと身を寄せてきたのは、家庭科部では唯一のクラスメイトの女子だった。およそ男らしくないひ弱な僕にもそういう需要があるのかと驚いたし、素直に嬉しかった。
後日、僕は彼女と付き合い始めた。
放課後家まで一緒に帰ったり、寝る前に通話をしたりした。僕にも普通に女の子とお付き合いができたことが何よりも嬉しかった。――けれど。
「ハルくん、今日うち来ない? よかったら何か料理作ってよ」
初めて彼女の家にお邪魔して、ビーフシチューを作った。味見をすると、温かくて、美味しくて、これを聡一兄ちゃんに食べさせてあげたくて仕方がなかった。
「ハルくん、すっごく美味しい!」
そう言って喜んでくれた彼女に申し訳が立たなかった。僕はその後、彼女の前でうまく笑えていたかどうかわからない。帰り際、気が付くと降り始めていた雨の中傘も差さず、とぼとぼと項垂れながら家に帰った。
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