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揺らめく桜の花ふぶきの向こうに、ひとりの男が立っている。
年齢は五十歳ほどで、薄紅色の世界に、彼の黒いダウンが目立っていた。
こちらを見つめているその黒い瞳は、ひどく哀しげだ。
「あなた。そこにいるのは、あなたね」
桜から少し離れた場所から、高子は思わず声をかけた。
あのダウンジャケットは夫の和正だ。三年前、交通事故で亡くなったはずの──。
「死んだなんて嘘だったのね。何かの間違いだったんでしょう」
「高子か」
和正の声は、少し疲れているようだった。
「俺も帰ろうとしたんだ。でもさ迷ってしまって、家にたどりつけないんだ」
「三年も迷子だったの? いいの、私が迎えに来たんだから。一緒に家に帰りましょう」
高子は安堵でほっとしながら、彼の元に歩いた。
これで彼と家に帰れる。今までの暮らしの何もかもが元通りだ。
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