自殺幇助士

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 老人は一杯の水をテーブルに置いて薬を要求したので、いよいよ僕は死神になる。    そして人の終わりに相応しいであろう重たい空気感を演出すると、多くの自殺志願者はここで沈黙に身を委ね、目を閉じる。    それを僕はジッと存在感を消して待つ。ただひたすらに当人が意思決定するその時を待つ。何時間でも、何十時間でも。    老人も同様、しばらくはその時をいつに定めるか伺うように目を閉じ、最後の思考を巡らせているようだった。    数時間後、その時が訪れ老人は言った。最後の言葉。   「ありがとう」    僕はこの言葉に心洗われる。    ありがとうという言葉、いつもは短絡的でいて日常に溶け込んでいるくせに、至っては美しい。   「どうぞ安らかに」    老人は穏やかな表情でこの世を去った。    この仕事がいくら法的に承認されようとも、社会的な反発はしばらく収まらないだろう。    それでも、死によって報われる物があるのなら、誰かがそれに応える必要がある。    そうでなければ、人々は自殺に対してネガティブな印象を払拭することはできないだろう。    価値観の変容には時間を要する。    あなたが消えることで社会はまたひとつ、画一性という概念も同時に消していってくれる。    多様性というものが包括的に実現した社会は、そう遠くない地点に横たわっている。これを見た僕らは多様性のユートピアと呼べるだろうか。あるいは画一性のディストピアと呼ぶのだろうか。    答えはわからない。でも、きっと“普通”に帰結する。   (了)
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