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続けて老人は、「私には妻がいてね。彼女は苦しんでいたよ」と話すが、それはさっきも聞いた。老人とは何度も同じ話しをするのが好きらしい。特に昔話は決まって好物である。
そう思った矢先、先ほど辿ったはずの史とは別の道へ傾き始める。
「……もう二十年も昔のことだ。――私が彼女を消した理由」
そこから語られた昔話は、面倒な話しではなく、僕は冷や汗を搔くほどの物だった。
老人は賢い。この話しを僕にしてしまったらどういう未来が訪れるかということをわかっているはずだ。
それなのに、饒舌に語る口は止まらない。
僕は知っている。自殺志願者は生への渇望と死への欲求を往復するのだ。死にたいと望んでいても、どこかでまだ死んではならないという本能が働く。そしてまた死にたいと願っては生への執着がくっついて離れない。その繰り返し。
要するに老人の生きたいという制御盤がその口を稼働させている。動物としての本能が死を拒む。
自殺志願者の実に七割が、カウンセリングを行った結果死なないという選択を取ることをご存じだろうか。普通は死への恐怖を克服できない。
老人もまた、普通。であったということだ。
ただし、
妻の自殺幇助をしたという一点を除けば。
だ。
それゆえ老人は普通に成り得なかった。
語るに老人は、自殺願望の強い妻を改心させようと何度も説得した。そして…………諦めた。自殺することで幸せになれるのなら、妻の意志は尊重されるべきであると感じたからだと言う。
多様な価値観を尊重するのは結構だが、自殺法成立以前の自殺幇助は立派な犯罪であり、老人の独白はしっかりとレコーダーに記録されている。
「あなたはわかっていますか? 今僕にこの話しをしたということを」
「ああ、全てわかってるよ。警察にでも私を連れていくかね」
老人も僕と同様に自殺幇助経験者。その末路もまた、自ら死を選択するというのか。
未来の僕。そう自分と老人を重ねずにはいられなかった。
自殺幇助士は自殺志願者に訊いてはならない質問がある。そのひとつが、
「ところで、あなたはなぜ自殺をしようと?」
これだ。
こちらから自殺志願者に対して自殺する理由を訊いてはならないという鉄の掟があるが、僕は訊いてしまった。が、老人は眉を歪ませてこう返す。
「すまないが、死ぬ理由より先に生きる理由の方を君から語ってくれるかね」
この問いは盲点だった。
愛する人のため? 贅沢な暮らしをするため? 幸せになりたいから?
老人が言う通り、生きることに理由を見出すことが僕はできているだろうか。
裏を返せば僕も生きるという選択を取っているわけではない。つまり選択していない。惰性で生きているだけという事実だけが僕の胸の内でころころと転がっていた。それを拾い上げ、ひとたび思考に浸れば解はそれに記してあった。
消去法として生きるを消した場合、必然的に死ぬという選択肢が浮かび上がる。
僕は頭の中で生きる理由を並べて整理してみても、この老人を前にして話せば薄っぺらい代物ばかりになりそうで、口ごもる。
「ほら、君も説明できないだろ。私の死ぬ理由もそんなところだ」
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