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老人の言葉の質量は大きい。若輩に量る術はない。
「このことは墓場まで持っていくなんて考えていたが、どうやら君のおかげで重たい荷物をここに置いていけるよ」
老人の自殺はもはや許されない。法によって裁かれるべき存在に成り代わった。今、僕の前にいる老人はもう顧客ではなくなったのだ。
「反対に伺いたいのですが、あなたが彼女を自殺幇助したとき、彼女は最後になんと言ってこの世から去ったのですか?」
本来これもダメな類の質問だ。
僕は法的に容疑者を自殺幇助してはならない。もはや僕が老人へ禁止された質問をいくらしようと、僕自身が罪に問われることはない。自殺幇助士としてあるまじき言動だとしても、今は興味の方が勝ってしまっている。
「さあ、なんだったかな」
老人はもったいぶって僕の顔をチラッと見た。
「教えてくださいよ」
「そんな興奮しなさんな。どうだろう、取引しようじゃないか」
老人は妻の最後の言葉を教える代わりに、僕が持つ安楽死の薬を渡せと言う。
どう考えても割に合わない。
「それはさすがに……」
にしても、僕と老人はなぜこうも最後の言葉を知りたがっているのだろう。
仮説に過ぎないが自殺幇助経験者はどこかに「報い」を求めているのではないかと思う。
「君は、幸せってなんだと思うかね?」
死の淵に立つ人間の人生観は思慮深い。到底僕ごときが答えれるはずのない質問ばかりが押し寄せてくる。
「なんだ。これも答えられないのか」
老人はずっぷしとソファの背もたれいっぱい仰け反り腕組みした。
「よくそんな死生観や人生観で自殺幇助士なんて職業やってこれたな」
「……」
一通り老人は僕を皮肉って満足したようで、不意に妻の最後の言葉を教えてくれた。
思った通りというか……その言葉は聞きなれたもので特に驚きもなかった。
いかに社会的マイノリティの自殺志願者とはいえ、最後に僕ら自殺幇助者へ述べるのは、感謝。
多様性なんてない。画一的でいて平凡。常識的で普通。
この日老人は警察へ出頭した。僕はレコーダーを全国自殺幇助士協会に提出し、ことの顛末をレポートにして提出した。
しかし翌週、僕はまた老人の前に座っていた。先日と同じ立派な桂垣、いや八重垣囲む先にそびえる豪邸。老人宅のリビングで。
ああそうか、きっと老人は妻を深く愛していたのだろう。
なんとなく最初に詠んだ和歌と最後に詠んだ和歌について、老人が言った意味がわかったような気がした。
そして驚くことに老人は罪に問われなかったらしい。理由は知らないし、老人を問いただすこともしない。
今僕の目の前にいるのは自殺志願者の、いち顧客であり、僕はいち自殺幇助士であるからだ。余計な詮索は原則禁止だ。
「それではまず、カウンセリングから開始します」
「また、初めからやるのかね」
「規則ですから、これが終わればあなたの自殺幇助をします」
マニュアル的に卒なく質問を続け、いよいよその時は近づく。
「では、死に場所はあなたの自由です。もちろん薬を服用するタイミングもあなた次第です」
「ここでいい」
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