第1話 カピバラの歌

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「爺さんだよ、爺さん。うちで爺さんなんて、日野(ひの)さんしかおらんだろうが」 「日野? 誰、それ?」  ぜんぜん話についていけない蒼汰に、早坂さんが子供をなだめるような口ぶりで説明をしてくれる。 「ピアノ研究会の特別顧問をしてもらってる人。神レベルの調律師なんだよ」 「ふーん……」 「今日の発表会のピアノも、日野さんが調律してくれたらしいし」  蒼汰はポンと手を打った。  なるほど。それであんないい音がしたのか。  透き通るような高音から張りのある重低音まで、鮮やかに連なる音のグラデーションが蒼汰の脳裏に蘇る。  しかしそうなると、僕は神レベルのピアノに向かって、あんな演奏をしてしまったのか……。蒼汰はぶるぶると身を震わせた。 「――でもさ、演奏自体はそんなに悪くなかったと思うけどな。上川君の〈コンソレーション〉」  蒼汰の頭のなかを読み取ったわけでもないだろうが、早坂さんが優しくフォローを入れてくれた。  ありがとう、早坂さん。その気持ちは嬉しいけれど、きっと草葉の影では作曲したフランツ・リストが卒倒しているに違いないんだ。 「ターンターン、タララララリーララーって。なんか上川君ってさ、ピアノ弾いてると優しそうな感じになるよね」  気持ちよさそうに〈コンソレーション〉の旋律を口ずさむ早坂さんを見て、蒼汰はすこし元気を取り戻した。 「ほんとにそう思ってくれるの?」 「うん。カピバラとかヌートリアが草食べてるみたいで、なんか幸せそう」  ……自分の顔が引き攣るのがわかった。
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