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第1話 カピバラの歌
豪勢な食糧がてんこ盛られた立食テーブルの周りには、今や小ぎれいななりをした先輩たちが群がり、凄烈な戦いの口火が切れたところだった。
ローストビーフ、スペアリブ、スモークサーモンのパスタ、フルーツの盛り合わせ……。
皆が、我先にと料理をさらっていく。砂山崩しのように急速に削りとられていくピラフだかチャーハンだかの山を遠巻きに眺めながら、上川蒼汰は唾を飲み込んだ。
あーあ。あれじゃあ、僕の分なんて残りそうもないな……。
諦めるか。
コーラの入ったグラスに口をつけるとクサクサしている気持ちも少しは和らぐというものだ。あとでフルーツくらいにはありつけるかな。
顔を上げると、会場中央の小さなステージの上には「ピアノ研究会春季発表会」という横断幕が掲げられていた。
その前を、キャアキャアとかワハハハとかいう奇声とともにテンションの高い話し声が目まぐるしく飛び交う。
――大学生という生き物は、いつもこんなふうにしてパーティを楽しんでいるものなのか。すごいな……。
開け放たれたレストランのオープンテラスから、六月の湿気を帯びた蒸し暑い空気が冷房の空気を押しのけるようにして屋内に流れこんでくる。
ポツポツと灯るガーデンライトのその先には都内のビル群が立ち並び、たくさんの窓明かりが冷めたような眼差しをこちらに送っていた。
……そうだよ、どうでもいいんだ。僕の演奏なんて。
気がつくと、蒼汰の隣で黒のワンピースを着た早坂希実さんが、何やら佐伯一郎と話しこんでいた。
いつもの活動的なパンツ姿と違ってちょっと大人っぽい今日の彼女は、なんだか黒ネコか魔法使いか、もしくはその両方みたいだ。
「それで佐伯君はどう思った? さっきの話、聞いたでしょ?」
「ああ? ピアノが消えたって話か?」
「そうそう。あれってさ、いわゆる都市伝説ってやつだよね。あるんだねー、うちにも」
早坂さんがリンゴジュースの入ったグラス片手にきゃっきゃとはしゃいでみせると、佐伯が困ったように頭を掻いた。
「なんの話? ピアノがどうかしたの?」
蒼汰が話に首を突っ込むと、早坂さんがパッとポニーテールを揺らしてこちらに顔を向けた。
「あ、上川君。すこし元気出た?」
「いや、まあ……」
「ま、発表会であんなヘマしたら誰だってしょげるわなー」
佐伯が笹を食べすぎたパンダのような腹を向けてくる。
こいつ、いちいちいらんことを言わんでいいのに……。
佐伯はいつの間にかゲットしてきたらしいレタスの添えられたうまそうなローストビーフをポイと口のなかに放りこんで、しばらくもぐもぐやってから口を開いた。
「――ただの噂話だよ」
「噂……?」
「さっき受付のところで先輩たちが話してたんだ。お前はショックでそれどころじゃなかったみたいだけど。な、希実ちゃん」
グレープジュースの入ったワイングラスをゆらゆらと回しながら、佐伯がパンダ顔を早坂さんに向ける。
「そうそう。なかなか興味深い話だよ。上川君も聞きたい? 聞きたいよね?」
「……じゃあ、手短にお願いします」
にわかに前のめりになった早坂さんの圧が凄い。
蒼汰がそそと先を促すと、早坂さんは猫のようにきらりと目を光らせてから、おもむろにグラスを立食テーブルに預けた。
「えへん。では始めまーす。むかーしむかし、あるところに、お爺さん……じゃない、ひとりのカッコよくて背の高い、イケメンの先輩がいましたとさ……」
「昔話なの?」
「ちがうよ。最近のことだって」
先輩の描写がムダに多い気はするが、早坂さんの話をまとめるとこういうことらしい――。
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