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序章・君に出会う①
桜が散り始める、まだ肌寒い季節。
あちこちに春の兆しが垣間見え、ほんのりと暖かみを感じさせた。
幼稚園の園庭にも、花吹雪となって桜の花弁が子供達の周りで舞い踊る。
将人は、そんな桜の花弁を追い回しては掴み、幼稚園のスモッグのポケットへと入れて集めていた。
周りで同じように拾う友達は、仲が良い友達ばかりだった。
明るく人懐っこい将人は、常に人の輪の中心にいた。
茶色のフワリとした髪も、色白の肌も日本人離れしていたが、顔の薄さは典型的な日本人のものだ。
「もう少し目が大きかったら美少年なのに」と漏らした母の言葉が何となく残念そうだったので、毎日、鏡の前では指で上下に引っ張って目を大きくする体操をしている。
「まさと!見て!こんなにいっぱい、集まった!」
「オレも負けてへんで!もう、ポケット、パンパンやもん!」
「まさと、私も~」
そうしてふと、将人は下駄箱の方を見る。
そこには、何だかつまらなそうにして立っている子供がいた。
スモッグの胸元に付けられた名札の色から見て、将人と同じ年少の子供だ。
色の黒い、目鼻立ちのはっきりとした、意思の強そうな子供だった。
その子は友達と馴染もうとはしないのか、どのグループにも入ろうとはしない。
将人は、その子供から目が離せなかった。
横から友達が話し掛けて来ても、耳から耳へと言葉が抜けていってしまう。
あの子と話したい。
将人は、そんな事を漠然と思っていた。
お遊戯の時間になって、男女が手を繋ぎ、輪になってダンスを踊る。
そんな中、輪に入れない子供がいた。
相手の女の子は、手を繋ごうとモジモジしているが、男の子の方はそちらを見ようともしなかった。
また、あいつだ。
と将人は思った。
あの浅黒い肌の子供は、先生の話も聞こうとはしないのか、曲が流れ始めても、一向に踊ろうとはしなかった。
「みなちゃん、ちょっと一緒にエエか?」
「何やの?まさと」
「手伝って欲しいねん」
将人は女の子の手を引いて、その子の方へと向かった。
「なぁ、なぁ、バトンタッチしよ?」
将人は女の子同士で組んで貰い、自分はその子と組んだ。
手を無理矢理に繋いで、輪の中に入る。
驚いたようにして目を向けてはいたが、強引に手を引く将人に何とか合わせるようにして踊ってくれた。
「なぁ、自分、踊るん嫌いなんか?」
「嫌いやない……」
「ほな、なんで踊らんのん?」
「女が嫌いやねん」
「何やねん、それ?」
将人はクスクスと笑った。
こんな声だったのか、と改めて思う。
色黒で健康そうに見えるのに、よくよく耳を澄ましていないと、聞こえ難い程に小さな声だ。
「オレな、後藤将人って言うねん。名前の字はな、『餃子の王将』の将に『人』、って書くねん。お前は?」
「わたなべ……」
「は?」
「わたなべ。……わたなべ、ななみ」
「ななみって、どんな字なん?」
「七つの海ってかく。世界には海が七つ、あるんや」
「へぇ。すんごくでっかい、エエ名前やな!カッコエエやん!」
将人が満面の笑みを向けると、七海は浅黒い顔を真っ赤に染めた。
昔から自分の名前は、女の子のようで大嫌いだった。
七海の兄二人も、名前にそれぞれに『海』の文字が付いていたが、両親には、どうして自分だけこんな女のような名前を付けたのかと、恨むばかりだった。
それが突然、この少年の一言で、こんなにも一変するなんて。
将人が『七海』良い名前だと言った瞬間から、自分の名前が光輝き始めた。
そして、将人にだけは『ナナ』と呼ぶのを許した。
『ナナ』という名前は、やがて『特別』なものになる。
将人が七海の名前を呼ぶと、キラキラと光るように波打って、耳に届く。
何かをきっかけに、全てが変わってしまう瞬間が、人生には幾度かある。
七海はその初めてを、将人に出会った事で、それを体感していた。
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