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第9章 ゆかいなまきば
その男性の名前は天野さんといった。はっきり聞いたわけじゃないけど年の頃は多分、三十歳前後ってとこ。
『ましろ、相手の心が読めるんだろ?何で正確な年齢くらい割り出せないんだよ?』
よかったら寄っていきなよ、何かご馳走してあげる。と親切に申し出てくれる天野氏。
見たところいかにも農場だし、食べ物については実際不自由してなさそう。ここなら手伝える仕事もきっとある、と踏んだわたしたちに否やなどない。勧められるままに門から中へと足を踏み入れた。
こっちだよ、よかったらいろいろと中見ていく?と気さくに案内してくれるその背中について行きながら、少し距離をとってぼそぼそと声を落とし彼の内心をざっと見た結果をアスハに告げた。
この道路沿いによく旅の子が通るのは承知してて、目に留まれば彼の方から声をかけて食べ物を振る舞ったり仕事を頼んで泊らせてあげたりするのが習慣になってる。その主な理由というか動機は、漠然としか伝わって来ないけどどうやら本人も昔は旅する子どもだったらしい。
『懐かしい、自分も昔はあんなだったなぁって感慨が伝わってきたから。それで過去の自分に似た環境の子に対しての共感が強いんじゃないかな。出来ることがあればなるべく手助けしてやりたいなってくらいの感情…』
喉が渇いてるだろ、何か飲む?と言って建物の方へと移動する。遠慮がちにそのあとを追いつつアスハにぼそぼそと小声で検索結果を伝えた。ついでに多分独身で一人暮らし、年齢は三十くらいかなと推測を交えて付け加えたら向こうも声を抑えて返ってきた言葉がそれ。
『…しょうがないでしょ。心が読めるって、言うほど万能なもんでもないんだよ。深層心理とか本人が今、リアルに考えてない具体的なことまでは無理。感情とか漠然とした意識みたいなものは見て取れるけど…』
例えば人の心を水槽に例えるとすれば、わたしの視点はそれを上から覗き込んでる状態。
表面にぽこぽこと今、浮いてきてるものは目に入るけど、奥の底に沈んでるものまでは読み取れない。だけど水全体の色合いはぱっと識別できる(つまり、その瞬間の感情や気分の変化は見える)。
一般的に人は普通、他人から自分の内なる水槽を見られるとはそもそもまるで警戒してないので。皆蓋なんかせずに開けっぴろげだ。だから無防備に晒されたそれをわたしは難なく観察できる。例外は今のところアスハだけ。
だけど一方で視点は上からに限られてて、横からとか下からとか自由には変えられない。そういう意味で、傍から思われるほどこの能力も便利ってわけじゃないんだよね。そもそもコントロール効かないし。
『リアルタイムでこの瞬間相手が脳裏に思い浮かべてることしか基本的には読み取れないの。だから、わたしたちを目の当たりにして自分の旅のことを思い出しながらもう十五年以上前かぁ。としみじみしてたとこから年齢はそのくらいかなって…。見た目からしてまあ妥当でしょ?』
ひそひそ声で強めに主張しても何というか迫力が足りない。アスハは特に心を動かされた風でもなく、まるで感心もしてくれなかったようだ。肩をすくめて素っ気なく言い放つ。
『見た目で年齢推測するのは別に俺でもできるし。こっちの目にも三十くらいに見える。つまり、特にあんたの力は必要ないみたいだな、これことに関しては』
すいませんね、言わずもがなの推理を付け加えたりして。
それにしても。とわたしはむくれながら農場の中を用心深く見回すのを忘れず、天野さんのあとを急ぎ足でついて歩きながら今さらなことを考えた。
アスハはもしかして、心を読む能力の詳細や限界についてはあまり知らされてないのかな。集落にいる家族や友達とその辺の詳しい事情について深く話し合ったりとかはしなかったのか。
もちろん、こいつの生まれ故郷の人たちの心の読み取り方とわたしのそれが全く同じかどうかそもそもはっきりわかってはいない。生まれも育ちもかけ離れ過ぎてて、そもそも全く別の系統の能力な可能性もある。
わたしのへっぽこ突然変異特性とは違って、もっと万能の力なのかも。本人が気づいてもいない深層心理の底まで見透せるんだとしたら相当なものだ。アスハがそういうのをわたしに期待してたんだとしたら、そりゃがっかりするかもな。
などと考えてたら、目の前の建物の開いた勝手口の中から天野氏がひょいと顔を出してわたしたちの方に向けて手招きをした。どうやら家の中に呼び入れて、そこで飲み物を振る舞ってくれるつもりらしい。
『…大丈夫?』
アスハは彼の視線を気にしたのか、横を向いてなるべく唇を動かさずにわたしに短く問いかけてきた。
やっぱりまだ警戒を解いていない。でも、さすがにこの程度のことならわたしのへなちょこ能力でもわかる。
わたしは少し離れたところにある天野氏の人の良さそうなにこにこ顔に目線を据えたまま、慎重に声を落として答えた。
『わたしたちに対する敵意や害意はない。シンプルに、絞り立ての牛乳か麦茶かどっちがいいかなぁ。…と今考えてる、心の中で』
「…牛乳。俺なら」
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