超・妄想【おなかが空いた】2

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靴を脱いで冷たい廊下を数歩進むと、リビングに繋がる扉。リビングはキッチンと一体化していて、いい匂いが漂っていた。 「飯の準備、途中だった?」 脱いだジャケットを伊万里がそっと受け取り、ハンガーにかけてくれる。奥さんかよ。 「うん。今日寒いから、豚汁」 キッチンのコンロでは、この家で一番大きい鍋に、いっぱいの豚汁が作りかけでコトコト煮えているのが見えた。 「まじ? おれ、豚汁食べたい気分だったんだよ」 キッチンに戻ろうとする伊万里を後ろから抱きしめようかと手を伸ばしたが、振り返った伊万里の一言に固まった。 「圭もそう言ったから、たくさん作るよ」 スタスタとキッチンに入っていく伊万里の背中を見送る。なんだよ、圭のリクエストか。 そういえばその圭がいない。おれと伊万里は同じくらいの背丈、体つきなのに対し、身長が高く筋肉質なイケメンは、おれが来たにも関わらず全く現れる様子がない。見た目にそぐわずがさつだから、いればわかるのに。 「伊万里、圭は?」 「今日、バイト。もうすぐ帰ってくる頃かな」 ああ、そういえば、バイト決まったんだっけ。伊万里の部屋に居候してからずっとフリーターだったが、とあるきっかけでバイトが決まったんだ。 具材が煮えたか確認している伊万里。他にもおかずを用意しているようで、忙しそうにしている。 「手伝うよ、伊万里」 腕まくりして手を洗う。伊万里は「助かるよ」と言って、大根を取り出した。 「大根おろし、よろしく」 「えー、圭にやらせろよ。馬鹿力なんだから」 そう言いつつ大根とピーラーを受け取る。包丁は伊万里がデザートのりんごを切っているので使用中。 「圭にこの間、大根おろし頼んだら、大根握り潰しちゃって」 「……冗談だろ?」 りんごを八等分する伊万里がおれを見る。分厚い眼鏡の奥の黒い瞳は"マジ"と言ってる。おれは大根の話を忘れる事にして「りんごうさぎ作って」とお願いしてみた。断られた。 しばらく雑談しながら料理を進めていく。料理をするのはほとんど伊万里で、おれは洗い物をしたり、拭いたり片付けたり。二人で作業出来るって、いいよなぁ。側にいる感覚、ちょっとした事で触れる手や、肩。 圭は料理音痴? だから伊万里の手伝いは出来ない。食器を洗うのすら出来ない。食べ終わった食器を流しに置く、だけはするらしい。だからこうやって、キッチンで伊万里と一緒にいられるのは、おれだけだ。 でも伊万里は気にしてない。圭が料理全く出来なくても、洗い物や手伝いが出来なくてもいいと言う。ただ、おいしいって食べてくれればいいって。おれのほんの少しの優越感は空回りする。 やがて豚汁が出来上がり、ご飯も炊けた頃。どたんばたんと玄関で音がした。 「圭、帰ってきた」 「玄関のチャイムってあんな音じゃないよな?」 「圭はチャイム、鳴らさないよ」 そうなんだ。いや、そうじゃなくて。 タオルで手を拭く伊万里は、リビングのドアから二歩離れた。とたん、扉がひしゃげるかと思うくらいの勢いで開き、イケメンが鬼の形相で飛び込んできた。 「伊万里! 無事か!?」 その目がキッチンでため息を吐く伊万里をとらえ、それからおれを見る。かと思えばおれは胸ぐらを掴みあげられていた。 「はーやーさーかー……」 「お邪魔して、マス」 大方玄関にある靴を見て、おれが来ていると分かり飛び込んできたんだろう。 「圭」 手を拭いていたタオルを片付けると、伊万里はいつもの抑揚のない声で圭を呼ぶ。圭は毒気が抜かれたかのように、おれの服から手を離すと、つり上がっていた目を元に戻した。 「早坂はご飯食べに来ただけ。ほら、手を洗って着替えてきてよ。ご飯出来たよ」 「なんもされてない?」 失礼な奴だな。ちょっと抱きしめようかと思ったりしたから、なにも言えないけど。 伊万里は「早坂は手伝ってくれただけ」と言いながら、圭を方向転換させて背中を押す。リビングから押し出して、そのまま伊万里も出ていった。 仕方ないから、ちゃぶ台でも拭いといてやるか。
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