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53.兎を狙う狼も狩人の獲物
ムンパール国民は大騒ぎだった。強大なジャスパー帝国に襲撃され、穏やかな国王陛下が失われた。善政を敷いた王の崩御を嘆く間もなく、後継の王太子が立つ。
国はまだ形を保っていた。その王を襲撃したのが、スマラグドスの傭兵団だ。あの日、民はなす術なく敗北を受け入れた。亡くなられた国王夫妻や王太子の忘れ形見、国の誇りである真珠姫を奪われる。
気丈にも彼女は顔をあげ、最後まで民を心配していた。追いかける侍女や乳母は、あのあとどうなったのか。姫は野蛮な男に下賜されたと風の噂に聞いた。誰もが心配すると同時に、あの時立ち上がらなかったことを悔やむ。
戦争は嫌だ。それは誰しも同じだろう。戦を起こして喜ぶのは少数だけ。平和な時代になれ過ぎ、戦うのは兵士の役目と外方を向いた。その結果がこれだ。帝国に王族を殺され、姫を奪われた。彼女は民の生存懇願のために、その身を投げ出したのだ。
美しい物語が悲劇として歌われるようになれば、その分だけ民の後悔は深まった。あの時、せめて姫に一言でも励みになる言葉を向けていたら。敵わぬまでも戦う姿勢を見せたなら。姫の献身と温情で、いまの生活が成り立っている。
その罪悪感が彼らに重くのしかかった。この状況で、姫の凱旋が伝えられたらどうなるか。半信半疑の民は、まず情報を集めた。商人から、他国から来た観光目的の人から、移住を希望する人から。ただの旅人であっても、呼び止めて噂をかき集める。
「本当に姫様が戻ってくる」
「真珠姫様がムンティア王国を興したのか」
徐々に広まる話は噂の域を超え、人々の期待を膨らませた。あのジャスパー帝国の皇帝だった男を従え、最強の呼び声高いスマラグドスの猛将を手懐けた。美しき真珠姫が、それ以上の輝きで我らを照らしてくれる。
ムンパール王国は一度滅ぼされたが、王族は滅びていない。彼女は女王となり、ムンティア王国の頂点に立った。民を見捨てずに戻ってくるのだ。
感動と感激の中、街道の民は石畳の整備を始めた。麗しき王の凱旋に、崩れた石畳を踏ませるわけにいかない。商人はよりよい商品を求め、店頭に並べた。農業を生業とする民は、少しでも姫の栄養になるものをと生産に力を入れる。
国が一気に活気づいた。禁じられていても、帝国貴族による搾取はあった。一般兵による略奪、暴行もある。傷ついた民は諦めかけていたのだ。その心を立て直したのが、女王となったアンネリース姫の存在だった。
どんな薬より効く、劇薬レベルの効果をもたらし、姫を歓迎する準備は進む。壊れされた街並みの一角も、驚くほど綺麗に修復された。戻ってくる真珠姫の目に映る風景は、平和だったムンパールの思い出であるように。
「へぇ、すごい復興だな」
「これならどこの国も欲しがるさ」
「勤勉な民とは聞いていたが」
善意と歓喜で満ちた街を、欲望の眼差しで品定めする男達が数名。彼らは兎を前に舌舐めずりする狼のように、貪欲さを隠そうとしなかった。
「バカだな、あの男が宰相についたんだぞ? 何も手を打たないわけないだろ」
狼を後ろから眺め、数歩先も読めぬ愚か者と嘲笑する狩人が数名。彼らは出番を待つ。踊る愚者の狩猟許可が出る日を楽しみに、薄い酒を煽った。
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