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僕は僕をよく知らない。
ううん、違う…忘れているんだ。
名前も年齢もどこで生まれたのか日付も知らない、思い出せない。
ちゃんと養殖されて生まれてきたのかすら分からない。
でも、物心ついた時には孤児院で暮らしていた。
名前や此処に来る前のこと含めなにも覚えていない僕に、孤児院のスタッフさんたちは"ノア"という名前をつけ、めいいっぱい優しくしてくれた。
記憶が無いからなのか、初めて人に愛されたような気がして、どうしてか涙が溢れて仕方なかった。
そんなある日、僕は自分が不思議な力を持っていることに気付いた。
それは、「相手の心を読む」という能力だった。
その力を使うと、相手が考えていることや本音を見抜くことが出来た。
最初は夢か誠か戸惑ったものの、僕はこの能力をポジティブに受けとることにし、この力でたくさんの人々の助けになろうと決めたのだった。
それでも尚、この力が厄介だと思う時はあった…なんてったって、自分の意思が無くとも強い念や言葉は各方面から勝手に聞こえてくるのだから。
とても絡みやすいとは言えない内気な僕にもみんなは優しくしてくれて、充実した日々を過ごしていた。
しかし、僕の中には過去の謎を解明する強い欲求が芽生えていた。
それもそのはず、たまになにかを思い出しそうになって頭に衝撃がくるんだ、頭痛がするし幻覚が二重に重なって、倒れ込むこともあった。
その都度、孤児院のスタッフさんや友達が助けてくれたのだけど。
僕自身の過去のことのような気もするけれど、やっぱり上手く思い出せない。
でも突然、転機が来たんだ。
ある日の散歩中、僕は町の公園で偶然古びた手紙を見つけた。
手紙の内容はこうだ
「愛おしき娘アリーナ、今はノアという名前を貰って、孤児院で幸せに暮らしているようね、あなたをまた見ることが出来てママは嬉しいわ、あなたは分からなかったでしょうけど、この前すれ違ったのよ?なんて、記憶が無いのにごめんなさいね、誰って感じだと思うけど、この手紙をアリーナ……いいえ、ノアが読んでくれているのなら、お返事だけでも頂きたいの。いつまでも待っているわ」
他にも前住んでいたところや、氏名に、よく食べていたもの…まるで生き別れになった娘に母親が書くような文面だった。
しかし、このアリーナという名前には聞き覚えがあった、以前孤児院の院長が昔の記事を見せてくれたことがあり、そのとき院長が「この綺麗な髪の色はこの街でもノアしか見たことがないんだ」と言いながらアリーナ・アリスと表記された記事に指を指していたのだ。
とりあえず、今わかっているのは僕のことを知っている人物ということだけ。
けど、考えれば考えるほど分からない。
自分の過去についての手がかりを見つけると共に、また以前よりも強い幻覚と頭痛に襲われた。
それでもなんとか耐えた僕はすぐさま孤児院に戻り、手紙の手がかりを頼りになんとしてでも過去を解明することに決めた。
そのため、「人の心を読める」という力が本領発揮をするように迚も役立ったのだ。
まず、手紙にも綴られていたように手紙の返事を送り、文通を開始した。
やりとりを続けること一週間が経とうとしていた頃、あまりだらだらと文通を続けていても仕方ないし、やはり文だけでは相手のことを知ることは不可能に等しいと感じ
最後の返事として「一度お会いしたいです」と書いた手紙を伝書鳩に預けた。
「今日も、よろしくね」
手紙を咥えた鳩が空高く飛翔していくのを見送った。
…後日、孤児院のみんなに心配を掛けないようにと、僕は散歩に行く体で一人で外出をしていた。
もちろん、手紙に書かれている本当の名前について知り…"ママ"を名乗る手紙の差出人と会うべく──────
危機感はなかったと言ったら嘘になるだろうけど、危ない人だった場合、事件に巻き込まれるかもしれない可能性を考えるよりも、自分を悩ませる過去や自分自身についての疑問を、差出人に会って明徴させたいという気持ちの方が強かったからだ。
「確か、地図を辿ると住所はここで合ってるはず……」
地図を頼りに辿り着いたのは貴族が住むような大きな御屋敷だった。
「手紙でも言ってたけど、本当に大きい…」
御屋敷はレンガ造りの二階建ての建物で、屋根の煙突からはもくもくと煙が上がっている。
その情景に、この前孤児院のスタッフさんに読み聞かせてもらった「クラゲの孤」という推理小説に出てきたような大きな屋敷と瓜二つで暫く見上げていると、玄関から一人の女性が顔を出した。
ワンカールされた茶色の髪にルージュのように赤いマーメイドドレスを着こなす細身の女性。口元はスカーフのようなもので覆われており、綺麗な一重でオッドアイの瞳…綺麗に整えられた眉、眼だけでも人を魅了できてしまいそう……。
ふと我に返り、会釈をする。
「あっ、えっと、家の前ですみません!孤児院のノア、なんですけど…」
「アリーナ…アリーナなのね…?」
「そ、そうなのかは分からないけど…今日はそれを確かめるために来たんです」
「ぁ、ああ、そ、そうだったわね…ごめんなさい。つい取り乱してしまったわ。ささ、歩き疲れたでしょうしすぐに紅茶を淹れるわね。どうぞ入って。」
「蝋燭が切れてしまっていて薄暗いのだけど、足元には気をつけてね」
僕は緊張しながら御屋敷に入り、女性に案内されるがままに歩いて行き、女性がよく使うところだと言う部屋に入った。
その部屋は一つの蝋燭の明かりで照らされており、薄暗い雰囲気が漂っていた。女性はテーブルに向かって紅茶を淹れ始めた。
「ノア君、お茶をどうぞ」
渡されたティーカップから、くどすぎないカモミールの花の甘さがほんのりと漂ってくる。
これも僕が好きな飲み物…たまに孤児院でも淹れてくれるスタッフさんが居るけど、やはりこの人が僕の母親なのかな……という思考をめぐらせていると
「カモミール、好きだったものね…」
遅れながら
「そうみたい、ですね。あ、ありがとうございます」と僕はお礼を言いながら、慎重に紅茶を受け取った。
「では、少し話をしましょうか」
女性の言葉に、僕は緊張しながら、自分の過去や手紙のことを尋ねた。
「まずちゃんと自己紹介しておかなくちゃよね、私の名前はポワゾン・アリス…あなたの名前はアリーナ・アリス。と言っても、あなたは記憶が無いかもしれないけどね。」
「それなら…院長に、名前だけは教えてもらったことがあります」
どうもこの部屋の圧迫感に紅茶を飲もうとは思えず、ただ徐ろに話を続けた。
「あら、そうだったの?とりあえず記憶が混乱してもあれだし、手始めに整理してみましょうか」
そう言って女性は紙とペンを持ち出した。
「まず、あなたの父親の名前はなんだったかしら?院長さんとかに聞いたこともない…?」
女性からの手紙にも書いてあったけれど、この人は僕の本当の父親、元い旦那さんについて知りたがっている…しかし父親が誰であったかなど、記憶が無い僕が知っているはずもなく。
女性の質問に答える術がなく俯いていると、女性は少し考えてから口を開いた。
「なんて、記憶が無いのだから答えにくかったわね。そうね…少し質問を変えるわ。」
「貴方のお父様がどんな人だったかは覚えてない…?些細なことでもいいの」
僕のお父様の特徴……それもあまり覚えていない……思い出そうとしても強い頭痛が襲ってきて、脳に靄が掛かったように記憶が鮮明になることはない。
僕は首を横に振って答えた。
「ごめんなさい……お父様のこともよく覚えていないんです、そんなこと院長さんに教えられたことも─────…」
言いかけた言葉を静止したのは僕自身だった。
ゆっくりと思い返してみれば、孤児院に来て一ヶ月がたった頃にそんな話を院長からされた記憶があった。
「そうなのね…でも無理もないわ。記憶があるにしろ無いにしろ貴方のお父様は、貴方が産まれて間もない頃に、遠征からの帰りに何者かによって刺殺されちゃって、ね…」
重々しく話す女性のその言葉に、欠けていたピースが揃ったような感覚を憶える。
おかしい、院長の見せてくれた事件当時の記事には「××市在住、有名画家の36歳男性ルイード・アリスさんが昨晩、近くの教会で遺体となって発見されました」としか書かれていなかった。
僕は釘を刺すように、恐る恐る聞いてみた。
「あの事件って、教会で遺体が見つかったんですよね…?」
「あ、ああ、そうだったわね、記憶がこんがらがって他の事件と勘違いしたのかもしれないわ」
困ったように笑う女性は、なにかをはぐらかしているようにも見える。
母親であり妻だったから?
…ショックを今も受け入れられてないとかなのかな……?
此処に来て更に謎が深まってしまった。
それに、院長と院長の奥さんが
「亡くなった画家の奥様は精神異常者だったという話も耐えないそうよ…?」
「定かではないだろうけど、そういえば…画家の事件が起きた一ヶ月後にも似たように、画商の青年が何者かによって刺殺されたということがあっただろう…?その青年も、この孤児院に子供たちにたまに絵を見せに来てくれる子だったからね…立て続けにこんな…っ」
「悔しいけど、亡くなった人に当てはまる共通点が「絵」の仕事をしている人間…っていうのも気がかりよね……」
と話していたことを思い出す…。
他の事件と間違えたというのは、画商のことなのだろうか。
この人がお父様元いルイードさんのことを聞くのは僕の記憶を取り戻すためなのか、はたまた…他に理由があるとしたら……。
そう思った矢先、とあることに気づく。
確かルイードさんが亡くなった日は教会の近くでルイードさんほどではないが、街で二番目に有名な画家の記念すべき初個展が開かれる予定だった。
これは院長が言っていたことだけど、ルイードさんの事件の影響で個展は中止せざるおえなくなり、その上その画家はルイードさんの古い友人だったことから精神を病んでスランプに陥ってしまったらしい。
そうして次の事件の被害者である新人画家の青年は野原で絵を描きその日の帰路で後ろから刺殺されてしまった。
その日は地球が怒っているかのように、犯罪者に力を貸しているかのような…大雨が絶え間なく街を包むように降っていたという。
殺人には絶好の天気、なんて不吉なことすら思ってしまうほど。
推理小説が好きな僕からしてみると、この事件を院長から聞いてから一ヶ月刻みに絵に関係している人間が亡くなる事件が起きていることと、殺され方、関係性になにか意味があるのではないかと考えていた。
最初は×××年9月1日、ルイードさんは教会で遺体として発見された。
一ヶ月後、ルイードさんの友人だった画家ヘルン・ポワードさんは精神を病んでスランプに陥り自決。
そのまた一ヶ月後に新人画家の青年が何者かによって刺殺され死亡した。
もしも、本当にいま目の前に座っているこの人が、殺人犯だとしたら、今から僕のことを殺す気なのだろうか…なんて主人公チックなことを考えたけれど、僕は小説を読むのが好きなだけの孤児院で過ごす平凡な少年に過ぎない……
しかし、改めて昔の事件を考察してみれば……その殺され方は、三つの事件が起きる前に当時街のみんなを震撼させるほどの小説を世に出した作者p.a.sさんの「人生、復讐、経験。」に載っている
「第1章 十字架」
「第2章 画家らしい終焉」
「第3章 キャンパスと最期」
という話と迚も酷似していたのだ。
僕も何度も読んだことがあるただの架空の話に過ぎないため、ありえない、一つの説でしかないが。
そして今更ながらに「第4章 毒殺」の本文をふと思い出した。
第4章の内容は、迷い込んだ少年が小説の中のヴィランであり主人公の魔女に淹れてもらった紅茶を飲み、薬殺されるというEND───…
今の状況と全く同じと言っても過言では無い、と感じるとともに不穏な雰囲気と紅茶に思わず僕はたじろいでしまった。
「あらあら、どうしたの…顔が真っ青よ…?」
僕の顔色を見て心配そうに僕の頬に手を伸ばしてきた女性、その手を反射的に掴む。
「あはは、つい緊張して、トイレを我慢してしまって…少し、お借りしてもいいですか?」
「やだも~早く言いなさい?!ほらそこの突き当たり真っ直ぐ行ったらトイレだから、行ってらっしゃいな」
「すみません、ありがとうございますっ」
……なんとか誤魔化せたようだ。
言われた通りに扉を開けて、突き当たりを真っ直ぐに進んでいくとトイレがあった。
…一旦篭って、状況を整理することにしよう。
トイレに入り、鍵を閉めて、見渡すと窓らしきガラスがあることに気づく。
「よかった、空いてる…!これならここから外に出ることも……!!…って、待てよ、ここもあの小説の展開と同じじゃないか……?」
ここからの展開は確か…窓から抜け出すのは最終手段に取っておくことにして、怪しまれないようにすぐに魔女の待っている部屋に戻るんだったっけ。
それで席に着くと座っていたはずの魔女が消えていて、テーブルの前で突っ立っていると後ろから魔女に声をかけられ、また話の続きが始まって……とりあえずまだ危険性は無い、でも紅茶だけは絶対に飲まないようにしないと……っ
もしあの物語の通りなら、本当にあの人は僕のお母様にあたる人なのか…?物理的では無いかもしれないけれど、昔の事件と今の状況があの小説の通りならば、自分で書いた架空の話を現実で犯した人間ということになる。
とりあえず、戻らないことには何も始まらない。
僕は震える手足を、単なる武者震いだと言い聞かせ、震えを押えて女性のいる部屋に戻った。
「今戻りましたっ!…ってあれ…ポワゾン、さん…?」
部屋に戻ると、予想通り女性の姿は消えていた。
「あれ、どこ行っちゃったんだろ…」
やっぱり、だとしたら…もう一度トイレに逃げれば…
次の瞬間、背後から肩を掴まれた
「ふふ、下手な演技はやめたらどうかしら…?わかっているのよね?これがあたしのシナリオ通りだと…」
耳元で囁かれた言葉にトンと小突かれたような恐怖を感じ────…背筋を凍らせた。
ひどく頼りない気分がじーんと音を立てて胸に響いていく。
「な、なにを言って……っ」
笑って誤魔化そうとしたものの
そのとき、この女性がなにを考えているのか気になったのだろう
「あと幾度繰り返せば貴方は、この謎を解けるんでしょうね…?」
女性の心の声が聞こえてきた。
僕の顔に触れ、輪郭を慰撫するかのように指でなぞると、女性は顔を覗き込んできた、不気味な笑みを浮かべて。
「まだ、分からない?貴方の記憶が無い理由」
頭の中の白い靄がとけ、黒い霧が溢れ、薄気味悪い部屋で闇がいっそう深くなった気がした。
まだ知りたいことが、問いたださなければならないことがたくさんあって、逃げなければ行けない状況なのに、 段々と意識が朦朧とし、僕はその場に倒れ込んでしまった。
気がついた頃に居たのは、とある孤児院だった。
そこで快く、全く記憶のない僕を出迎えてくれた院長が僕に「ノア」という名前を付けてくれた。
この感覚、何処かで──────…
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