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 泰彦は、休みの日はよくそうするように、裏山に登ろうと家を出て、ふとある事を思いついた。 (休みの日って、どうなんだろう……)  回れ右をして、裏山とは反対の海の方へと歩き始めた。  それは通学路。洋館の家の方向だ。  緩やかな坂道をしばらく下ると、案の定と言うか、初夏の海風に乗って、心地よい調べが流れてきた。 (やっぱり!)  気持ちがはやり、速足になる。  聞き覚えのあるメロディー。  確か、この間、音楽の授業でも聞いた、題名は忘れたけど、有名な曲だ。  洋館の前に着く。  今日は休みだ。急かす登校班の班長もいない。  住宅街の一角にあるその家の前は、生活道路を挟んで空き地になっている。そこに立って、曲が終わるまで聞いていた。  三拍子のメロディーが、泰彦の耳から入り、脳を心地よく包む。  空き地からは、青い海が近くに見渡せる。  道を潮風が駆け昇ってくる。  間もなく、フルートの音色が止んだ。 (次の曲が始まるのかな?)  期待して少し待っていたが、感じるのは、少し強さを増してきた海風と、洋館の庭の木々のざわめきだけ。 (もっと早く知っていればよかった……けど、明日からは……)  休みの日の楽しみが増えたと思いながら、空き地を後にして、坂道を少し登った時、 『ガラガラッ』  窓の開く音がした。  振り返ると、洋館の二階の窓から、白いドレスの少女が顔を出し、海を眺めるのが見えた。  帰りかけた体を反転させ、洋館に向ける。 (あの人だ!)  きっとそうだ。フルートの人!  泰彦よりは2、3歳年上に見える。何となくイメージ通りだった。  やや茶色がかった長い髪が、海風になびいている。  と、今度は顔を引っ込め、両腕を上げて伸びをする仕草が見えた。 (美しいお姉さん……)  泰彦の胸が、憧れでいっぱいになっていく。  それは、みかんに似た甘酸っぱさを含んでいた。  その視線に気づいたかのように、彼女が泰彦に視線を向けた。  一瞬、見つめ合うような恰好になった後で、彼女は小首を傾げ、ニッコリと笑みを向けてくれた。  途端に、さっきの甘酸っぱいしずくが胸に滴り、キューッと締め付けられる。  何もできずにいる泰彦を、今度は笑顔のまま一つ頷いて見せた彼女は、小さく手を振ってから、ゆっくり窓を閉めた。
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