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誰だ
足がすくんで動かない。
女はすぐに玄関ポーチの階段を降りて、私とは反対方向の道を歩いていった。
家の中に入っていたかどうかはわからない。
お父さんが、入れた?
でも、まだ仕事だよね?
帰ってきてないよね?
小さくなっていく女は、背が高く、長い栗色の髪をしている。
小さい頃の記憶に残る、母親の後ろ姿とそっくりだ。・・・顔はよく覚えていない。
疲れを忘れて家まで走った。
庭に続くゲートも、駐車スペースのゲートもきちんと閉じてある。
車はない。
やっぱり、まだ仕事だよね。
・・・あの人、合鍵持ってるのか。
鍵は閉まっていたし、特別違和感は無い。
一瞬、荒らされているのを想像して入ったが、家の中も変わりなかった。
・・・ゲート乗り越えたとか?
私、朝、窓閉まってること確認したっけ?
まだ、家の中に入っていないことを決めるのは早かった。
両親が離婚したあとも、ずっとこの家に住み続けている。そしてこの家には、母親のこだわりが詰まっていることを私は知っていた。
荷物を置いて庭に面した窓を見る。
・・・良かった、閉まってた。
小さい花壇も、木々も備え付けのプールも変わりない。
風呂場も、キッチンも、自分の部屋も、低木があるだけの小さい中庭も。
・・・合鍵を持っているかどうかはわからないけど。
あれが母親だとして、何故今更家に来たんだ。
今の家の場所は、もちろん知らない。
・・・知ろうと思えば知れるけど・・・うーん。
一瞬、本気でそうしようかと思ったけどやめた。
あいつの下校時間なんてもう覚えていない。最悪、不審者扱いだ。
「お父さんに話そう」
私から話しかける。
そんなこと、もうずっと無かったから、お父さんは驚いてしばらく固まった。
「話があるの」
「・・・ああ、うん。どうしたの」
喜びを滲ませてるところ申し訳ないけど、
「お母さん、この家に住んでたんだよね?」
「うん、ここはお母さんがこだわって考えた家だよ」
「お母さん、合鍵まだ持ってる可能性ある?」
「・・・何があったの」
私は、母親じゃない可能性もあるということを言った上で話した。
「お母さんが合鍵を持っているか、と言われると、無いとは言い切れないね。前々から離れることを視野に入れていたら、もしかしたら・・・」
「離婚を言い出したの、お父さんじゃないの」
意地悪な質問をした。
そのことで、もうケンカしてるのに。
でもお父さんは嫌な顔ひとつせず──強いて言えば、少し焦っているようだった──少し考えて言った。
「お母さんに原因があったのは確かだけど、それをすぐに気がつけなかったお父さんも悪いんだよ。確かに離婚を言い出したのはお父さんだけど、もともと夫婦としての想いを無くして、そうなることを望んでいたのはお母さんだから。お・・・君もよくわかっているだろう?」
「うん」
「不安なら、鍵ごと変えよう。防犯カメラを設置しても良い」
そこまで負担はかけられない。
「お母さんと話す予定があったわけじゃないよね?」
「あるわけないよ。あったとしても家に呼ぶわけない。しかも、君が家に帰る時間に?自分は会社にいるのに?」
「・・・無いね」
お父さんはようやく安心したようだった。
「怖がらせてしまってごめんね。話し合いもまともにしなかったからな・・・。夕ご飯、何が食べられそう?」
「・・・パスタ。さっぱりしてるやつ」
「じゃあ、冷製パスタにしようか」
久々のまともな会話は、楽しむようやものじゃなくて、でも無事終わってホッとした。
手作りの、たっぷりのトマトソースに浸ったパスタは、暑さと気分の悪さにくるまれていた私の良い気分転換になった。
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