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『彼女』が微笑んで俺の顔を覗き込む。
「いや…少し疲れただけですよ」
俺は袖で顔を拭い、立ち上がる。
関わってはいけない。
記憶を持たない君に、俺の存在を押し付けても何の意味もない。
「私の親だという人が言っていたわ。あなたは私の恋人だったって」
ビクッと背中が強張った。
俺が打ち明けたくても黙っていたことを、どうして話してしまうのだ。
「なのに私に名乗り出てくれないのは何故?」
昔と変わらない、藍色の目で俺を見つめる。
「それは…貴方が新しい人生をスタートさせるべきだからですよ」
俺は出来るだけ穏やかな声で諭す。
これ以上『魔物』に関わらず、平和な人生を送ってほしい。
「もう既にあなたは新しい人生をスタートさせているの?」
そんなわけがない。愛していたのは君だけだ。
そう言ってしまいたかったが、グッと堪える。
「それとも『魔物』になって罪を犯した女にはもう興味がない、という事?」
「そんな事は決してない!その罪は『魔物』によるものであって、貴方の罪ではない!」思わず声を荒げる。
「……失礼。貴方は過去にとらわれず新しい人生を送るべきなのです。なので名乗りでなかった、それだけのことです。急に知らない男から恋人だと言われても迷惑なだけでしょう」
早く、早くここから立ち去って欲しい。
俺の決断が揺らいでしまう前に。
今すぐ触れたい、抱きしめたい。
その想いを悟られないように背中を向け、深くため息をついた。
「……もう一度、一目惚れしたって言ったら?」
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