ちょこれーとあらうんど

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   ◇   ◇   ◇  ニースからロンドンを経てサウサンプトンへ。港へと降り立ったハーヴィーは、久し振りに見る『Queen of the Seas』の優美な姿に頬を緩ませた。十年も経ち、クルーの顔触れは変わってしまっていたが、さほど寂しさは感じなかった。  客室を見回すハーヴィーを見つめ、ロイクが小さな笑みを零す。 「君のそれは、職業病かな」 「つい、な」 「そのおかげで僕は助かっているけれど、今は僕だけを見て欲しい」 「船にまで嫉妬か?」 「今日くらいはいいだろう?」 「今日くらい、か」  それ以上の言葉を、ハーヴィーは呑み込んだ。  メインルームのソファへ腰を落ち着けると、用意されたスパークリングワインへとロイクは手を伸ばした。 「飲むかい?」 「そうだな。この船で酒を飲むのは久し振りだ」  フルートグラスを軽く合わせれば、澄んだ音とともに中の気泡が微かな余韻を奏でる。 「それと、これは君に」  そう言ってアイスペールの横からロイクが取り上げた小さな箱を、ハーヴィーは受け取った。 「これは?」 「チョコレートだよ。日本では、バレンタインデーといってサン・ヴァランタンにチョコレートを贈るのだとフレッドに聞いてね」 「なるほど」  ハーヴィーが細いリボンを解いて蓋を上げれば、中には小さなハート型のチョコレートが三つ、並んでいた。  左端の白いハートを、ロイクの指が摘み上げてハーヴィーの口許へと運ぶ。 「どうぞ?」 「……自分で食べられる…」 「まぁそう言わずに、ね?」  閉ざした唇にむにりと押し付けられて、ハーヴィーは渋々と口を開けた。押し込まれたチョコレートを齧れば程よい苦みが口の中に広がる。 「美味しいかい?」 「まあ、美味いな」  そう言って、ハーヴィーは真ん中の赤いハートを長い指で摘まみ上げた。 「ほら」  口許に差し出してやれば、ロイクは嬉しそうに形の良い唇を開いた。僅かに覗く舌先がやけに艶めかしく見える。 「…うん、美味しい」 「そうか」  短く応えるハーヴィーの頬がほんのりと朱に染まるのを、ロイクは見逃がさなかった。僅かに熱を帯びた頬を長い指先が捉える。逃げようと思えばいくらでも逃げられる程度の力加減で捕らえた頤は、ハーヴィーが軽く顔を背ければすぐに指を離れた。 「ガラにもない事をしたって、思ってるね?」 「悪趣味な質問だが、答えはノーだ」 「そう?」 「あなたが食べさせて欲しいと言うなら、いくらでも口許に食事を運んでやる」 「そんなに僕を甘やかしてくれるの?」 「そんな趣味があなたにあるのなら、な」 「まぁ、たまにこうして甘いひと時を過ごすのは悪くないけどね」  常時べたべたと慣れ合うような付き合い方がお互い好きでない事は、長い付き合いでわかりきっている。そうでなければ今ごろハーヴィーは生きていないだろう。  付き合い始めた頃は、それこそロイクの顔色を窺うことも少なくはなかった。けれどもいざフランスでの生活を始めてみれば、ハーヴィーにとって思いのほかロイクとの生活は快適なものだった。  必要以上の干渉をロイクはしてこなかったし、ハーヴィーもまた、何にでも首を突っ込みたいタイプではない。互いの距離感が一致しているという事は、ふたりにとって何よりも幸いだったとそう思う。 「ところでハーヴィー、君に大切な話があるんだけれど、聞いてくれる?」 「聞いた後で拒否権がない話なら断る」 「なら、安心して話を聞いてもらえるって事だね」  そうにこりと微笑んでロイクは用件を切り出した。それはもう、直球で。 「君を、正式な幹部としてファミリーに迎え入れたい」 「は?」 「君にはまだ話していなかったけれど、実は先日ファミリーのボスが代替わりをしてね。クリスがボスになったんだ」 「それと私になんの関係がある。そもそも私はフランス人ですらないんだぞ? いくらなんでも…」 「そう。だから、君には僕たちファミリーがこれから在り方を変えていくための試金石になって欲しい」
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