おじさん、おじさん。

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 ***  公園に近づくと、なんだか少し甘い香りがするような気がする。  ふわふわ、と花びらが鼻先をかすめていった。まるで真っ白なモヤがかかったような、見事な桜の木だ。私は誘われるように公園の中に足を踏み入れたのだった。 ――そういえば。  古い怪談を思い出す。  桜の花が薄ピンクに染まるのは、木の根元に死体が埋まっているからだと。死体の血を吸い上げて、桜の花びらがピンク色になるのだと。 ――昔の人は、なんちゅー怖いこと考えたんだ。桜の木は神隠しをするとか、そんな話もあるみたいだし。桜をそんなにオバケにしたかったのかな。  そんなことは現実的にあり得ない、と知っている。大体、人間の死体なんてものはちょっと時間が経つとすぐ腐ってしまって、最後は骨になってしまうのだ。骨になってしまったらもう血を吸うどころではない。それでようやって養分にして、花びらの色を染めようというのか。  確かに、魔物が宿っていると思いたくなるほど、桜という花は幻想的だ。  がっしりとした幹に、華奢で小さな花をたくさんつける。その花びらが風とともに舞い散る様は、異界に攫われそうなほど摩訶不思議と感じるのもわからないではない。  が、どうせファンタジーに絡めるならば、魔物じゃなくて妖精にでもすればいいのにと思ってしまう。桜色のドレスを着て、星のステッキを持った掌サイズの妖精さんが宿っている。そして、時々お花見に訪れた人に悪戯を仕掛ける。それくらいの方が、物語としては可愛らしくていいと思うのだが。 ――あ、妖精さんは、ヨーロッパとかそっちの考え方か。昔の日本には、妖精さんって考え方はなかったかも。  つらつら考えながら、花びらが落ちている石畳を歩いていく。すると、いつものように陽気な歌が聞こえてきたのだった。 「あーらよ、えーらよっ!ほい、ほい、ほーい、おいでませぇ!――――!」  昨日より、少しはっきり歌が聞こえる気がする。お祭り騒ぎをしている会社員っぽい人達の中心で、今日もまた頭が剥げあがったおじさんが盆踊りをしているのが見えた。  昨日より、少し顔の赤みがマシな気がする。呂律も改善しているし、昨日ほどは酔っていないのかもしれない。 「あははは、いいぞ、いいぞー!」 「もっともっと踊ってくださいよ、ほれもっとー!」 「はははははははははははは、はははははははははははははっ!」 「そーれそーれ!」  周囲の人々が手を叩きながら、おじさんを囃し立てていた。強要されているわけではなく、おじさんも本当に楽しんでいるようで、拍手されればされるほど盛り上がっている様子である。  もっともっと踊っちゃるぞ!と言いながら手をひらひらさせ、お尻をふりふりと振った。なんだか盆踊りというより、男子小学生が悪戯して誤魔化す時の動きに似ているけれど。 「お!」  おじさんがふと、こちらに気付いた様子だった。思わず足を止めて眺めてしまっていた私に向かって、ひらひらと手を振ってくる。 「どうも、お嬢ちゃん」 「え!?あ、はい、こんにちは……」  驚いたが、おじさんも周りの会社員たちも特に気分を害した様子はない。じろじろ見られていて嫌だったとか、そういうことも一切ない様子だった。  笑顔で挨拶してきたおじさんに、私もつい頭を下げてしまう。おじさんは満足そうに笑って、またねえ、と言ったのだった。  しかし、連日でお花見とは。 ――あの人達の会社は、そんなに暇なのかなあ。  それならお父さんの仕事、手伝ってくれないかな、なんて。  子供心にちょっとだけ複雑な気持ちになったのである。
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