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理恵が安岡を最初に見たとき、彼女は憂いに満ちた中年の男の表情に痛く胸を打たれ、ほんの僅かな咳払いのごとき所作でさえ、なにか居た堪れない気持になったものだ。それは恋の始りとも異なっていた。言うなれば、時期を逸して入社して来た物寂しく哀愁に満ちた中年男への憐憫の情に他ならなかったのである。しかし、安岡は、そんな歳下の女の表情を決して見逃さなかった。誰もいない場所で寂しそうにしている理恵に近づき、優しく見つめながら、してやったりと内心ほくそ笑んだ。これで味方が出来ると。そして、彼女は彼女で、安岡に抱かれる瞬間を待った。そして、その瞬間はあっけなく訪れ、二人は心地良い悦びを得たのだった。それ以来、二人は肉体の接触と、その接触によって得られる悦びの感情を確認することに余念がなかった。その確認には、愛情どころか恋心すらなく、会話は勿論のこと、お互いの過去の事や先の事への関心は無駄どころか邪魔ですらあった。敢えて言えば、お互いの肉体への嗅覚だけが、それも暗闇で手探りをする触覚にも似た嗅覚だけが必要であった。
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