大花見の夜

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大花見の夜

「今朝はずいぶん賑やかだな」 引き絞った弓弦(ゆんづる)から力を緩めて、四郎(しろう)は言った。 日の出る前から庭先に出て、朝稽古(あさげいこ)に弓の腕を鍛えるのは六つの頃からの日課だった。 いつも騒がしい華野辺(はなのべ)の街でも、この時間は(しわぶき)一つ聞こえないはずだ。 ところが今日はどうだ。 まだ東の空がほんの少し明るくなったばかりだと言うのに、昼日中と変わらない喧騒(けんそう)が聞こえてくる。 「何かあっただろうか」 四郎はぼんやり考えて、やがて、ああ、と気が付いた。 「今日は“大花見(おおはなみ)”か」 そういった途端、生け垣の向こうで大きな笑声が響いた。  ◯ (きょう)は、この国の中心と言うべき街である。 この国の(おこ)りと共に、“主上(おかみ)”が国家君主へ即位し、住まいに構えた御所(ごしょ)の周りに出来上がったのが京の都だった。 現人神(あらひとがみ)の血を引き、強力な(まじない)の才を持つ主上は占術(せんじゅつ)呪術(じゅじゅつ)を用いて(まつりごと)を行い、臣下もそれに(なら)った。 その文化はこの国が生まれて九百九十九年経つ現在まで続いていて、京の都は今や占術と呪術が渦巻く(まじない)の一大都市となっている。 そんな呪術都市である京の都へ入ろうとする者は、役人から厳しい審査を受けなければならなかった。 「止まりあれ。その(ほう)(あきない)の一団と見受けるが、何を積んでおる。検分いたす。どちらへ参られる……西の市場?ああ、いかんいかん。今、京を横切っては凶事(きょうじ)が起こると、(ぼく)に出ておる。日を改めて、京の外側を周って西大門より入られよ。なに、次の満月には卜が変わろうぞ」 と、こんな調子で、二週間も京の前で足止め、などということもざらにあった。 そうなると、入京できるまでの期間逗留(とうりゅう)する場所が必要な者や、荷車に積んできた商品が悪くならないうちに売っ払ってしまいたい者が少なくない数現れる。 そんな人達を取り込み、発展を遂げてきた宿場町(しゅくばまち)華野辺(はなのべ)だった。 北に土師倉鉱山(はぜくらこうざん)、西に小波海(さなみのうみ)(よう)した華野辺は、早い内に水路と陸路の建設が進み、街中に舗装路と運河が張り巡らされたのも、発展に一役買っていた。 京から北東へ六里ほど離れた華野辺を初めて訪れる者は、まず、街の景色に目を奪われた。 華野辺の中心には、天を破らんとするほど巨大な桜の樹が立っていた。桜の幹は大人五十人で両手を広げて囲んでも届かないほど太く、てっぺんは雲の中へ入って見えないほど高かった。 その木の名は“七桜(しちおう)”。 遥か昔、主上(おかみ)下賜(かし)されて根を下ろした霊樹は満開を間近に控え、その枝に薄桃色の花弁を(たた)えていた。  ◯ 「四郎(しろう)、早ええじゃねえか」 日課の修練が終わって、井戸水で身体を拭いていると、背後から声をかけられた。振り返ると、四郎の父、裁花(たちばな)五郎(ごろう)忠正(ただまさ)があくびをかきながら縁側に立っていた。 「おはようございます、父上」 「朝から張り切ってるな、四郎。いや、清正(きよまさ)よ」 「四郎とお呼びください、父上」 四郎は少し困ったように言った。 今年、四郎は十七歳を迎え成人したことで、忠正から“清正”という元服名を戴いた。 それからというもの、ことあるごとに忠正は四郎を元服名で呼んでいた。 「いいじゃねえか。成人して家督もお前に譲っちまったし、“神器”だってお前の方が上手く扱えんだからよ」 元服名というのは対外的に用いる名だから、身内から呼ばれるのはどうも堅苦しくて、四郎は落ち着かなかった。 「立派になったもんだ。なあ、清正」 「ですから、父上から元服名で呼ばれるのは……」 なおも四郎が食い下がると、忠正は顔をくしゃくしゃと歪めてみせた。 「頼むよ。今日は清正と呼ばせてくれ」 忠正は縁側に腰を下ろすと、手近にあった矢をいじる。 「今宵は“七桜”が満開を迎える。お前と共に“大花見(おおはなみ)の夜”へと()り出すのが、長らくの夢であった。成人しとらん者は、夜は出られん決まりだからな」 「ですが、みんなして酒呑んでばか騒ぎ、とは参りません。裁花(たちばな)の者として羽目を外すわけには……」 忠正はぎょろりと四郎に目を向けた。
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