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「お前はそうやって、いざ俺が誘おうとしたら、やれお役目だなんだと理由を付けて、逃げちまうじゃねえか。今日はそうはいかねえぞ」
「そうですよ!兄様がついて行って差し上げないと、父上がかわいそうです!」
そう言って、妹のいとが顔をのぞかせた。二年後に成人の儀を控えるいとの顔には、「私も連れていけ」と書いてあった。
「兄様が行かないとおっしゃるなら、いとが父上の供をいたします!」
「お前は自分が行きたいだけだろう」
四郎が素っ気なく言った。
「だって、“七桜”が満開を迎えるのは“大花見の夜”だけなのですよ!」
いとは今にも縁側に降りてきそうな勢いだった。
「明日の朝には七桜は葉桜へ変わるでしょう。それはそれで美しいですが……皆で神酒を干し、共に満開の七桜の美しさを愛でる大祭が“大花見の夜”だと言うのに!」
「お前は再来年にならないと酒飲めないじゃないか」
「だと言うのに……」
いとの眉が吊り上がると、四郎を睨みつけた。
「兄様はずるいです!」
「なんだ急に」
こういうときのいとの顔は父上と似てるな、などと四郎は考えていた。
「いとが“大花見の夜”に行きたいのを知っていて、父上が一緒に行ってほしいとおっしゃっていて、ご自分の気分で行かないとおっしゃるのですね!」
「気分で言って何が悪いのか……花見とはそういうものだろう」
四郎がちっともなびいてくれないと見るや、いとは狙いを忠正に変えた。
「父上!あんな頭の固い兄様は放っておいて、“大花見の夜”へはいとと参りましょう?ね、それがよろしいわ」
「いと。わがままを言わんでおくれ」
武名で知られる忠正も、ひとり娘にはとことん弱い。
「お前が成人したら必ず連れて行ってやるから、今日は屋敷から七桜を見ておくれ」
「いやです!いとは大花見の夜に行きとうございます!」
たまらず忠正は矢を放り出すと、立ち上がって四郎に言った。
「清正!いとを連れて華大路でも見に行ってこい。たんまり菓子を買ってやれ。……わしは夜から参るゆえ、ちゃんと夕方までにいとを家に戻せよ」
◯
「朝からすごい騒ぎだな……」
いとに手を引かれて華大路に出た途端、喧騒と熱気とむせ返りそうな桜の香りが押し寄せて、四郎は思わず後ずさった。
華大路は華野辺を東西に貫く大通りだが、今日は端から端まで“大花見”に来た人達でごった返していた。
「やっぱり“大花見”の日はすごいです!京の大路だって、きっとここまで楽しくありませんわ」
熱気に浮かれて、いとは何度も飛び跳ねながら華大路に飛び込んでいった。その後ろ姿を追って、四郎は七桜の方へと歩いていく。
“大花見”の日は華大路に面した大店だけでなく、様々な物売りが立売を出す。
「そこの旦那様!そう、そちらの!酒の肴に干魚を持って行きねい!昨日岸影湾に揚がったものを一夜干しして、ここまで運んできたんだ。加流羅族の特急便だ、こんなに新鮮なものはそうお目にかかれないぜ!」
「銀細工商いの至屋でございます。へえ、手前共は腕の良い土侏儒族の職人を揃えてございますから、ええ、そりゃあもう。煙草入れ?それなら、七桜の彫刻が入ったこちらなど……」
「薬屋で〜ござい。薬屋で〜ござい。気になる遊女を虜にする、褥の共はいらんかね。効果は間違いなし。ああ、何が入ってるかは聞いたらいかん。いかんぞ」
この日ばかりは、官吏もやかましいことを言わないので、皆やりたい放題だ。
普段なら裏通りをこそこそ行くような怪しげな薬売りまでもが、首から提げた盆に薬瓶やら薬包やらを乗せられるだけ乗せて練り歩いている。
そのせいで、
「あれは何かしら。行ってみましょう、兄様!」
妹が珍しい物を見つける度に、四郎はうんざりした顔で後をついて行った。
しばらくそうしていると、
「ワンワン!(四郎!)」
背後から呼び止められて四郎は振り返った。
四郎のすぐ後ろには、人狼族と加流羅族の男女が立っていた。
「よう。コタローと一華も来てたんだな」
「ワォッフ!(四郎が“大花見”に来てる方が珍しいよ!)」
二人のうち、人狼族のコタローが、柔らかな灰色の毛に覆われた身の丈七尺(約二メートル)の体を揺らして吠えた。
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