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「本当。祭りの日は家にこもって読書三昧、が趣味じゃなかったかしら」
コタローの隣で、加流羅族の一華が嘴をカカカッと鳴らして言った。
加流羅族は鳥が人へと転じた種族と言われていて、一華の見た目も正に鴉が人になった姿、というのがふさわしい。
「父上の言いつけで、いとのお守りだ。“大花見の夜”は父上に付き合わねばならん」
四郎が言うと、紫紺の羽に覆われた腕を組んで、一華はふうん、と物珍しそうな目で四郎を見た。
「“大花見の夜”も出るわけ?祭り嫌いの四郎が」
「嫌いではない、興味がないだけだ。それに、“大花見の夜”に私と行くのが嬉しいと父上が言った。それなら付き合った方が良いと、それだけのことだ」
「……それだけ?」
「ああ」
一華はため息をつくと、わざわざ腰を折って四郎の顔を下から覗き込んだ。
「あんた、自分で思ってるより乾いた物言いする癖、ちゃんと自覚したらどう。今の千早が聞いたらまた怒るからね」
「どうして千早が出てくるんだ」
しかし、四郎の問いは向こうから走ってくるいとの声に塗りつぶされた。
「一華様〜!」
「いと〜!おいで!」
一華はいとを抱きかかえると、頭をなでながら四郎から離れていく。
「いとはかわいいね〜、あの鉄面皮と違って!丸呑みしたいくらい!」
「あはは、出た、加流羅族ギャグ!」
「一緒にお店見に行こう?四郎なんてコタローに任せておけばいいから」
「はい!ですので兄様!一華様に家まで送っていただきますから、私のことはお構いなく」
四郎が呼び止めるより早く、いとは一華と人混みの中へ消えてしまった。
「アォン(行っちゃった)」
「ったく。夕刻には家に連れて帰るはずが……」
四郎は眉間にシワを立てた。
「ワフ、ウォフ(一華がついてるなら大丈夫だよ。せっかくだし、僕らも“七桜”を見に行こう)」
コタローは共通語でなく、人狼族の原語で話した。聞き慣れない者にとっては狼の吠声だが、発音と、言葉よりも雄弁な耳や尾の動きを見ていれば、気持ちを読み取るのは共通語より簡単だった。
二人は数人の立売から食べ物を買い付けて、七桜の根本に向かってのんびりと歩いた。
「ワゥフ、ワンワン(やっぱり、大花見の日は特別だね)」
「たしかに、なかなか見ないような大騒ぎだ」
「ウォウ、ウォーウ(えっとね、なんて言えばいいのかな……)」
コタローが言葉を探すように首を左右に振っていると、二人の前方でわぁっと歓声が聞こえた。
歓声は最も七桜に近い運河から上がった。
売り荷を積んだ小舟でひしめく運河を、周囲を押し退けるようにして一艘の筏が南下してきた。
簡素だが頑丈な天蓋の付いた筏には、ひと抱えもあるような酒樽が山のように積み上げられていた。
「漕げぃ!」
「ウォロロー!!」
筏には十数人の土侏儒族が立ち、和人族の太ももくらいある腕で櫂を漕いだ。彼らの掛け声が上がる度に、筏は波しぶきを上げて進む。
「我らの火酒だ!存分に飲んでくれ!!」
筏の先頭に立っていた土侏儒が、ゴロゴロとした声を張り上げた。
「土師倉鉱山の土侏儒族達だ!」
「土侏儒族の振る舞い酒だ!」
桟橋に筏を括り付けると次々に酒樽が運ばれた。気の早い土侏儒が腰に提げていた手斧で樽の蓋を叩き割ると、たちどころに人集りができあがった。
「ワゥン(あれだよ、四郎)」
「たしかに豪勢だな。土侏儒族の火酒なんて、市場に回らないもんな」
「グゥフッ(そうじゃなくて)」
コタローは筏を指差した。四郎の半分くらいの背の土侏儒が、集まってきた人達と酒樽を囲んで宴会を始めている。
「ヴォフ、ワッフ(今日は特別なんだ。火酒と豪快な歌を持つ土侏儒族は英雄だし、修験族の長い語りに誰もが足を止める。僕も子どもに怖がられない)」
コタローは目を細めて言った。
「ウォーッフ(“大花見”の日は、誰しも七桜の周りに座って、同じ桜を見上げられる。きっとそういう気分にさせてくれるんだ、七桜が)」
「そういうものか」
四郎は得心しない、というように答えた。
「ウーヴッフ(四郎が分からないのは、和人族だからなのと、他人に興味がないからかな)」
「そうかもしれないな」
四郎が苦笑いを浮かべると、コタローはため息をついた。
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