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幹から陽炎が湧き出るように、その姿が波打つと、七桜の根本から、じわりと影が広がった。
周りの明るさに関わりなく影は広がって、次第に七桜の周りの地面は、墨汁が満たされたようになった。
七桜を取り囲んだ影を眺めていた四郎は、ある一点を見据えて目を細めた。
影をまとったような黒くて干からびた腕が、地面から生えていた。
腕はしばらく所在なさげに指先をあちこちに向けていたが、やがて、肘を曲げて地面を押した。
腕に力が入ると、地中に埋まっていた肩、背、そして頭が現れると、四郎は思わずあっと声を上げた。
「何だ……!?父上、あれは……!」
影の中から現れた上半身だけで、人でないと判じるには十分だった。
ヒビの入った白面に張り付いた笑顔。
黒い上に異様に細い、骨ばった首。
そして、無遠慮に向けられる、悪意。
「悪鬼よ」
忠政が言った。
「京で積もり積もった呪の、成れの果てよ」
「呪の、成れの果て……」
おうよ、と忠政はござに手を伸ばした。
「京は呪の都だ。主上を頂点に、ありとあらゆる場所で呪が使われる。だが、呪ってのは一度使ったくらいじゃ消えてくれねえ。いずれは悪鬼に転じて害を為す」
「ですが、なぜ京で生まれた悪鬼が、七桜から現れているのです!」
「そりゃあお前、主上が京中の穢を逃がす門として、七桜を置いたからよ」
にわかには信じがたかった。
だが、霊樹の足元からは次々と悪鬼が現れた。
「なぜ、七桜は京の興りと同時期に植えられた。なぜ、七桜が京から見て鬼門の方角に植えられている。なぜ、千早が七桜に対して神楽舞を奉ずる。少し考えりゃあ、分かるこった」
「ならば……なぜ、誰も騒がないのです」
七桜の周りには、穏やかに酒宴を開く者達の喧噪で溢れていた。ほんの三間(約15m)先に悪鬼の群れがいるというのに、誰も、一声の悲鳴も上がらなかった。
「こんなあからさまな災いを押し付けられて、なぜ誰も気付かないのです」
「誰も分からねえからよ。“大花見の夜”の真の姿を知ってるのは、」
と言って、忠政がござに包んでいたものを放ってよこした。
それは一張の弓だった。
漆黒の弓幹に金色の弦、少し小ぶりな弓を、四郎は慌てて両手で受け止めた。
「“神器”に認められた奴だけだ」
四郎は神器を手に、再び七桜を見据えた。
数匹の悪鬼が白面の顎を開き、手近な観客に牙を剥いた。だが牙が届く前に白面は断ち割られ、悪鬼は黒い霧と化して霧散した。
「グルゥ……っヴァウ!(やらせない!)」
桜花の下を霞むほどの速さで動く者があった。
コタローが二本の小刀を手に七桜の下を駆け、すれ違いざまに悪鬼を切って捨てた。
七桜を切り裂くように急降下した一華が、脚の鉤爪に掴んだ大鉈で、三体まとめて悪鬼の首を断ち切った。
「コタロー……一華……!」
四郎の前で、神器を手にした二人の友が悪鬼を次々と屠っていく。
「もう、わしも悪鬼は見えねえ。次はお前たちの世代だ。だから、お前が撃て。撃ち滅ぼせ。悪鬼を一匹残らず撃ち果たし、お前たちが華野辺を守るんじゃ」
忠政の言葉を背に、四郎は弓弦を思い切り引き絞った。
何もつがえていない弓柄と弦の間に紫電が走り、雷が矢の形を作った。
「神器、“鳴神弓”」
四郎が放った矢は雷の速さで飛び、今まさに千早に襲いかかろうとしていた悪鬼の目の間を撃ち抜いた。
「父上は勝手だ。大花見に引っ張り出したと思ったら、役目を押し付けて……」
そう言って、四郎は再び弓を引いた。
「まあ、酒盛りなら、鬼退治の方が余程良いです」
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