タカムラ見聞記 米騒動

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 タカムラが現世へ立ち返る所になっているのは、機業で栄える西陣と呼ばれる地域の西北にある千本閻魔堂である。ここの本殿にある閻魔像の傍らには小野篁像があり、もっぱらこの像を憑代として人々の話を聞いて来た。季節が夏から秋へと移り、この頃から参拝者が盛んに口にするのは諸式(物価)の値上がりである。特に暮らしへ酷く及ぶのは食べ物であり、この中でも米の値上がりには口汚い罵りを聞くようになった。 「飢饉にもなっておまへんのに、何でこんだけ米の値が上がるんや。どないなっとるんかわからんけど、閻魔はんに買い占めやっとる奴の舌、抜いてもらわな気が収まらんさかい」 「うちんとこは、米が高こうてお粥にしとります。年が押し詰まってまで、値が上がるんどしたら、五分粥、三分粥と落とさななりまへん。どこのお方のせいかわからしまへんが、どうか探してもろおて、どやしつけておくんなはれ」  タカムラは、往古から米の値が上がるのは、飢饉か戦と認識しており、飢饉で無いとすれば、いよいよ戦の兆しが見えて来ているのかと懸念していた。そこで、かつては参議として国政を担っていたタカムラは、揺らぎになって一千年ぶりの禁裏へ向かっていた。今の千本通りとなる朱雀大路の北辺にあった禁裏の場所が、往時の左京の北東辺りへ変わっている。ここは陣中(大内裏)と呼ばれ公家が集住さされた区域で、ここの北となる今出川門から入った。禁裏を取り巻く公家の屋敷を眺めていると、壁の崩落に屋根の剥落などの傷みが散見され、武士の世に暮らしてきた苦労が偲ばれた。禁裏の南にある建礼門から中へ進み、紫宸殿や清涼殿などを巡っていると、公家達の会話の中に頻々と聞こえるのはきな臭い戦の話である。昨年に起こった禁門の変で長州藩が敗退し、朝敵として見られたこの藩には、既に昨年の内に征討の勅許が朝廷から下された。その時には講和の条件として、長州藩が三人の家老の切腹と四人の参謀の斬首でけりをつけようとしたが、幕府から出された藩主親子の江戸への拘引には従わないでいるようだ。
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