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二人。部屋に残されて、燈は微妙だと称したお茶を啜った。飲みたかったわけではない。ただ、間を持たせたかっただけだ。
何を話したらいいのか分からない。
こんなふうに思う日が来るなんて思わなかった。
子供の頃は紅二が燈のうちに預けられるなんてよくあることで、一緒に遊ぶどころか風呂や寝るのも一緒だった。その時に何を話していたかなんて覚えてはいないけれど、少なくとも話題に悩むなんてなかった。そもそも、話をしなければいけないなんて思っていなかったから、同じ部屋にいてもお互いが別々のことに夢中になって数時間会話がないなんてことだって、普通にあったと思う。
それなのに。
今は沈黙が気まずい。
いつからこんなふうになってしまったのか。
燈だって気付いている。
燈が、紅二を好きだと自覚したときからだ。
好きだから。
嫌われたくないから。
上手く話したい。
上手く話せない。
昔のまま、あーちゃんでいたい。
幼馴染のあーちゃんのままではいたくない。
紅二の初恋の人のようになりたい。
自分のまま、好きになってほしい。
素直になりたい。
そのために、少しだけ勇気が欲しくて、翡翠に無理を言ってまで、お菓子を作った。美味しくできたら、紅二がよろこんでくれたら、少しは素直になれるかもしれないと思った。
けれど、今の状況。
話題にすら事欠いている。
何か話さなければと思うと、余計言葉が出なくなってしまった。
「あーちゃん」
気まずくなって、考えもまとまらないまま話始めようとした時の不意打ちだったから、不意に話しかけられて、燈は思わず固まってしまった。
「……あ。えと。燈。さん?」
あーちゃん呼びに怒って返事をしなかったのかと思われたのだと思う。紅二は言い直した。
自分で呼ぶなと言いながら、他人行儀な呼び方になんだか寂しくなる。
「なんだよ」
だから、不貞腐れたような声になってしまった。なってしまってから、失敗したと思う。やっぱり、怒っているようにしか、聞こえないからだ。
「いっぱい作ってたね」
業務用のデカいオーブンの方を見ながら、紅二が言った。言い方はいつもと変わらない。けれど、こっちを向いてはくれないから、やっぱり機嫌を損ねてしまったのではないだろうか。
そんなふうに思ってから、子供の頃は喧嘩をするのも怖くはなかったのにと、ため息を噛み殺す。喧嘩をしたって紅二がいなくなるとか、嫌われるなんて思いもしなかったあの頃が懐かしい。
「うん」
もちろん。お菓子なんて作ったのは紅二にあげるためだ。喜んでほしかったからだ。
けれど、そうと知られるのが恥ずかしい。今更かわい子ぶっても、紅二は燈のことなんて何でも知ってる。だから、たくさん作った。紅二のためではなくて、皆にお返ししたいんだと誤魔化したかった。
「燈さん。いっぱい貰ってたもんね」
いい匂いが漂い始めたオーブンから目を逸らすことなく、紅二が言う。横顔はいつもと変わらない。
紅二は燈の答えに納得したんだろうか。
納得してほしくない。
「ああ。そうかな。毎年のことだけど」
女子も男子も燈には友人は多いほうだと思う。そんな友人や後輩の中でバレンタインデーにチョコをくれる人は少なくない。だから、燈だってバレンタインデーには必ず〇ルファベットチョコを持参して配りまくるし、くれた人に返礼くらいはしたいと思う。それは、嘘ではないけれど、本当は、紅二だけのために作ったのだと、知ってほしい。
そんな、虫のいいことを考えて、けれどそれを知られたくなくて、誤魔化すように燈は笑う。
「食い過ぎで太った」
もちろん。もらったものは(ヤバ目の呪いがかかっていたヤツ以外は)全部食べた。甘いものが好きだから、苦にはならないし、実習を受けていればすぐに体重は元に戻るけれど、さすがにしばらくは甘いものを見たくないと思ったほどだ。
「俺より全然多かったじゃん」
「あ? だって、お前と違って義理ばっかだし」
燈にチョコをくれる人は大抵『作りすぎたから』とか、『試作品。毒見して』とか、『友情の証』とか、枕詞をつけてくれる。紅二も、友人は少なくない。どちらかというと、多いほうだと思う。ただ、ノリの違いなのか友人同士で送りあったりはしていないらしい。紅二にチョコを送ってくる相手は本気度が違う。
「……無自覚。怖」
ぼそり。と、紅二が言う。
「え?」
呆れたようなガーネットの色の瞳がようやく燈の方を見た。
「まあ、いいや。気付いていない方が俺としては都合がいいし」
仕方ないな。と、ため息交じりの表情は妙に大人びて見える。どきり。と、心臓が跳ねた。
「でもさ。俺には一番に頂戴?」
そのくせ、直後に子犬のような笑顔。本当に、この年下の幼馴染はズルい。
「な……なにをだよ」
どきどき。と、鼓動が早くなる。顔が熱くなるから恥ずかしくて、視線を逸らした。
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