転生へのカウントダウン

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転生へのカウントダウン

 六月になったばかりというのに、駅前の電光掲示板は三十五度を記録していた。首からぶら下げていた小型扇風機から熱風を浴び、リュックサックにしまい込んだ。  先輩は私の姿を見つけると、一瞬固まったあと上から下まで舐めるように見回していた。 「な……なんですか」 「悠里ちゃん、私服だと制服とイメージ違うね。そういうのも着るんだね」 「普通じゃないですか?」  私は全身を見下ろした。  なんてことはない、パフスリーブの薄緑のシャツに、薄い生地のワイドパンツを合わせただけである。  私よりも先輩の方が目を引く。  木陰に佇む彼の姿を見てみれば、やはり多くの通行人が先輩の立ち姿をチラ見している。  ノーカラーの白いシャツを腕まくりし、流行りのダボッとしたシルエットの黒いスラックスを華麗に着こなす。同系色の黒いローファーと背中に斜めがけしたボディバッグもお洒落で、モデルなんじゃないかと錯覚してしまう。 「せ、先輩だって。カッコいい服着てますけど、動物愛でに来たんじゃないんですからね。デッサンしに来たんですから。分かってます?」  ペンケースと大判のスケッチブックを見せつけると、彼は私の掲げた手を上からふわりと包むように握った。 「分かってるよ。動物園デートだよね」 「分かってないじゃないですか!」  屈託なく微笑む立ち姿に、多くの通行人が目を奪われた。  先輩はイケメンだという自覚を持って欲しい。ほんのり赤くなった頬を隠すように歩き出した。  額と背中に、汗がじんわり滲み出す。  エアコンの効いた電車から下車したばかりだというのに、早すぎやしないか。 「パンダなんかいいんじゃない? 僕、パンダ描く」  一通り見て回った先輩は、極細のシャープペンシルを握り、パンダ舎から少し離れたベンチに腰を降ろした。  白い柵から少し離れたところで数頭のパンダがくつろいでいる。照りつける太陽から逃れようとしたのか、皆日陰の下に陣取って動きが少なかった。じっとしているものは描きやすい。 「じゃあ、私もそれで」  彼に倣いスケッチブックのページをめくる。  先輩は画材にこだわりはないというが、私は違う。天才じゃないから、シャープペンシルでなど描けないし、消しゴムの代わりにパンを使ったりできない。私が使えるのは鉛筆くらい。線を引いたり色を塗ったり、一本で何でもできる人類の英知の塊だ。  私は真っ白な画用紙に4Bの鉛筆を滑らす。   『頭が大きくない? 最初にアタリをつけたほうがいいよ』  先輩に言われたことを思い出しながら手を動かす。アタリとは身体のパーツの大きさをおおまかに印付けておくもので、アタリの段階で大きさを調整しておけば後で直すのが楽になるのだ。  筆圧を弱め、全体の輪郭をなぞるように目の前のデッサン対象物を捉える。 『目もそんな大きい? よく見て。思い込みで描かないんだよ』  先輩のアドバイスは、私の心に分かりやすく入ってくる。 「パンダって鼻の周囲はどっちかっていうとイヌっぽいね。不思議だね漢字だと熊猫って書くのに」  先輩がひとりごとのように呟くのが聞こえ、ハッと顔を上げた。確かに鼻や頬にかけてが丸みを帯びてなだらかに隆起しているネコとは異なっている。鼻周辺の造形が高く、口から喉まで奥行きがありそうだ。 「ということは賢いんですかね」  ネコよりイヌの方が言うことを聞くイメージである。 「うーん、どうだろうね。賢さで言ったらあの子たちの方が賢いと思うけど」  先輩は隣の鳥獣舎を指差した。中にいるクジャクではなく、屋根にとまっているカラスである。空を飛べる真っ黒な鳥は、群れになって私たちを見ていた。  カラスは予期するものは、不幸だ。  なんだか寒気がして、先輩のそばにそろりと近寄った。大きな木の下のベンチは私が座れるスペースが残っていた。 「なに? 密着? 大歓迎だよ」 「歓迎しなくて結構です。先輩はパンダを描いててください」 「パンダより君を見ていたい。君をこの距離で見れるなんて奇跡、滅多にないからさ……って、ちょっ、待って」  凝視しようとする先輩の顔を無理やり押し避け、パンダの方へ顔を向けさせる。  スケッチブックを覗き見れば、パンダの上半身しか仕上がっていない。上半分でもすでに毛並みの剛柔が感じられる腕前だが、それだけに下の未完成が目立つ。  何度でもいうが私は先輩の絵が好きなのだ。  入道雲がもくもくと育っている。おそらく、もうすぐ雨が降る。  せっかく出かけたのにもったいないが、天気が崩れる前に帰宅の途につきたいし、一頭くらいは仕上げたいところだ。 「ほら、続きも描きましょうね」 「えー、でも、悠里ちゃんが来てくれてるのに」 「私のことはいいから。えーと……」  柵のそばに設置してあるパンダたちのプロフィールに目を向けた。園内には五頭のパンダがいるらしいが、先輩がスケッチしている左端の個体はいったい誰だろう。 「パアパアちゃん?」 「ルイルイくん?」 「可愛げがないからベイベイだよ」  ◆◆◆  話に夢中になっていて、大事な音声を聞き逃した。 『ただいま、雷が接近してきております。園にお越しのお客様においては、速やかに建物内に移動するようお願い申し上げます』  私たちが死んだ原因は、おそらく園内放送を聞き逃したことだ。  何度かアナウンスされたようだったが、不幸なことに風の音にかき消されて不明瞭だった。近くに落ちたであろうまばゆい閃光もちょうどパンダ舎に重なって、確認することはできなかった。 「先輩がつけるなら、なんて名前ですか」 「僕はね……」  ◇◇◇  記憶はここで途切れている。   「そうか、このパンダはあのときの……?」  私は巨体を誇るパンダを振り返った。銀髪の美女に引っ張られても微動だにしない、肝と理性がすわったパンダである。  忘れていた過去の記憶が徐々に蘇って来た。私と先輩とパンダは落雷に遭って、同時に天に召されたらしい。 「僕たち、きっとニュースになってるね。男子高校生(18)と女子高生(17)とパンダ(?)、雷打たれて死にましたって」  先輩は大きく口を開けて笑っている。  脳天気なイケメンだ。家族も動物園も学校も大騒ぎになってるかも知れないのに。  私はため息をついてハッと前を見た。  そういえば何か忘れている気がする。異世界で謎の勢力に襲われているような……   「さっさとヤッてってばぁぁぁ!!!」 「!!」  銀髪ダイナマイトボディの女性の肩に乗っているシマリスが、大きくふくらんだ頬の中からこちらへめがけて木の実を吐き出した。  吐き出した、と言えないほど速く、私のもとへ一直線で向かってきた。  ──ぶつかる!!  ぎゅっとまぶたを閉じ、頭を抱え込んだ。  瞬間、私の前を大きな影が横切り、パリッと殻が破れた。木の実の中身は砕け散り、粉々になって地面に飛散した。 「俺、歳だからさ。もうこういうのいいんだわ。もっと平和に仲良く暮らそうぜ。なぁ?」  素早く横切って私たちの前に現れたのは、さっきまで眠っていたパンダであった。  私は目を丸くした。  パンダが仁王立ちして敵の前に立ちふさがっている。  動けたのか。というか、喋れたのか。 「オスちゃんもそう思うだろ?」  パンダに声をかけられた先輩は、咄嗟にうんうん、と頷く。 「テーマは“転生したけど隠居する”で頼むわ。じゃあな!」  パンダは右腕に私、左腕に先輩を抱えて、高速で走り出した。 「きゃああああ!!?」 「飛ぶっ、首が飛ぶー!」  パンダに拉致られたのは生まれて初めてである。  景色が逆さまに通り過ぎていった。  人里離れた山小屋に着くと、パンダは私たちをポイっと投げ捨てた。
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