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すべてのはじまり④
ああ、目が回る。
どう考えても飲み過ぎた。
「幸村くん、大丈夫かい?」
フラリと視界が巡り、足の力が抜けそうになるところを、横から力強い手で支えられた。
「真白くんと張り合っても仕方ないのに、どうして君はいつもそうなんだろうね」
呆れたような声で言われて、大知は、うーー、と返事をした。というより唸った。
どんなに窘められようとも、男には引くに引けない時というものがあるのだ。
先程まで大知と一緒に宴会で飲んでいた、真白────真白 陽介とは大知と同部署の後輩で、アホのように酒が強い。酒を水のように飲んでもケロっとしている。
あれでは、酒豪ですねと賞賛する以前に酒に失礼だ。酒とは酔ってこそ酒だ。
大知はよくわからない持論を説いて、後輩について文句を垂れつつ、意地を張った飲み比べの勝負で飲み過ぎたことを言い訳がましくブツブツ言っていたが、酩酊感に足がヨロつき、自分を支えてくれている人物に寄りかかってしまう。
「具合が悪いのかい?」
立ち止まり、優しく背中をさすられた。
気分が悪いわけではなかった。ただ酔いで目が回り、どうしようもなく足がフラつく。
ゆるゆると首を横に振ると、そう。と返事が聞こえた。
「じゃあ、もう少し歩けるかい?」
「んー」
「電車も無いし、タクシーも60分待ちだし、君を支えながら徒歩で帰るのはいくら僕でも無理だよ」
「んん」
「だから、少し休んでいこうか」
「・・・」
休む?
その妙に引っ掛かる単語に、大知はようやく自分を支えている人物を見上げた。
「!!!」
そこには当然のように同僚で友達・・・の深山 正春が立っていた。
ああ、なんてことだろう。
彼も飲み会に来ていたことを失念していた。
あれだけ彼の前では深酒は止めようと思っていたというのに!
以前まで、大知は深山の事を同僚で、良い友達だと思っていた。が、今やすっかり趣旨が違ってしまっていた。
彼は大知の事が好きだと言った。
総意的に見れば、好意を向けられる事が嫌だと思う人間など滅多にいないはずだ。
そして、好意に気付き、己も相手を好きになっていくのが恋愛というものだ。
だが、彼は違う。
深山 正春は何もかもすっ飛ばし、勝手に暴挙に及び、こっちは全く納得などしていないのに我が物顔で迫り、逃げ道を周到に塞いでから好きだと言ってきた。なんとも卑怯この上ない手練手管で。
でも最近、彼のその振る舞いに段々慣れ始めている自分がいる。
深山は妙な事さえしてこなければ、何かと世話を焼いてくれ、話も合う。
だからこそ、慣れてしまうのは不味い。
流されてどうする、この俺、幸村大知が!
と、自分に甘い大知が滅多にしない叱咤を己に課し、いまいち力の入らない足を何とか動かし、踵を返そうとした。
しかし、時すでに遅し。
そこは歓楽街の喧噪を離れ、閑静ながらもいかがわしいネオン瞬くホテル街だった。
「・・・・・・・・・っ!!」
さすがの大知もこの現状にはサァッと血の気の引く音がした。
────逃げなければ。
危険を察知した本能が告げるままに、大知は慌ててこの場から去ろうとした。が、やはり足がもつれて転びそうになる。
勿論 転倒などはせず、大知の肩をつかんだ手と力強い腕に引き寄せられた。
「君は本当に落ち着きがないなぁ」
呆れたような深山の声が降ってくるが、余計なお世話だ。
喚いてやろうと顔を上げれば、いつの間にか自分たちはラブホテルのエントランス前に立っていた。
ビジネスホテル然としてシンプルな外観だが、間違いなく普通の宿泊施設とは異なるRESTとSTAYの価格表が明記されたパネルが入り口扉付近に設置され光っており、空室、という単語が否応なしに目に突き刺さる。
大知は、あわあわと口を開閉した。
「深山、こ、ここで・・・休、むのか?」
「そうだよ」
微笑む深山の笑顔が怖い。だって目は少しも笑っていない。本気だ。
「嫌だ!!」
大知は肩にあった深山の手を振り払い、足が絡まりそうになりながら必死で走り出した。
通りを渡り、小道に逃げ込む。
だが。
背後からあっさり追い付いた深山が得心したように言った。
「ああ、そっちのホテルの方が良かった? じゃあ、そっちにしようか」
「!!?!」
見渡すと、あんなに沢山走ったつもりだったのに、気付けば殆ど距離を移動しておらず、しかも大知が入った小道は斜め向かいにあるラブホテルのエントランスへの小道だった。
「ち、違う! そうじゃない! そうじゃないっ!! 間違ったんだ!!」
力一杯喚けば酔いが更に回り、大知はその場にへたり込みそうになってしまった。
深山はやれやれと息をつき、大知の腕をつかみ立たせるとさっさとエントランスに入ろうとする。
暴れて阻止したいのに、とにかく頭に血が上ったのか逆流したのか、大知は立ち眩みがして、結局、深山に促されるまま、まさに引き摺られるように中へ入ってしまった。
無人のロビーにあるソファに座らせられれば何とか眩暈はおさまったものの、
「うーん、沢山あるね」
部屋を選ぶパネルの前で、どの部屋に入るか迷っている深山を見て、大知は再び眩暈がした。
そんな大知を知ってか知らずか、はたまた知らない振りをしているのか(おそらく後者)深山は振り返ると事も無げに言ってきた。
「幸村くん、君の好きな部屋を選んでいいよ」
「そんな選択権、譲って欲しくない! 家に帰るという選択肢をくれ!」
「そういう選択肢は無いよ。タクシーは一時間待ち。君は酔って一人で歩くこともままならない。どうやって帰るんだい?」
「そんなものどうとでもなる。放っといてくれ!」
「大事な君をそこらへんに放置出来るわけ無いだろう」
「・・・」
“大事” と面と向かってハッキリ言われ、大知は言葉に詰まった。
大事だというのなら、もう少し丁重に扱って欲しい。いや、そうじゃなくて・・・
視線を彷徨わせ煩悶している大知に追い打ちを掛けるように、深山は呟いた。
「君がそういうプレイが好きだというのは、一応 念頭に置いておくけど」
「そうじゃない!」
誰が野外で放置プレイなんてものを好むというのか。ああ、本当にそうじゃなくて!
大知がまた喚いたせいでクラクラしはじめた頭を抱えていると、再び深山の声が聞こえてきた。
「ジャグジー、マッサージチェア、ジェルベッド、鏡張り、ボディソニック、ブラックライト・・・」
単品で聞けば変哲のない名称でも、彼が言えば何の呪文だと言いたくなるくらい不穏だ。
「いぃぃいいぃやぁぁぁだぁあぁぁ」
大知はソファーに倒れかけた。己の身を憂いて泣きたくなってくる。
しかし、深山の口から出てくる不吉な呪文は止まらない。
「SMルーム・・・」
「ハード過ぎる!!!」
大知は的外れなツッコミを、力一杯、喚いた。
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