お花見

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 ──あれ?  そこは、見渡す限り一面に花が咲いている、今まで見たこともない綺麗な場所。でも人の気配は一切ない。  彼は両手にお花見で使う食材の入った買い物ふくろをぶら下げて立ちすくんでいた。  ──たしかスーパーで買い物してから、待ち合わせ場所に向かってたんだよな。  歩くとサクサクと音がする、人がかろうじてすれ違えるくらいの幅の道は、緩やかな丘の向こうに続いている。その道の両側に咲き誇る花からは心落ち着く香りがさわやかな風に乗って彼の鼻孔を刺激する。  ──ああ、このままこの道を進めば楽しいんだろうなあ。そんな確信が、なぜかわからないが、心から湧き上がってくる。  こんなに花が咲き誇っているのに、不思議なことにチョウやハチといった花畑におきまりの虫たちはどこにも見当たらない。日差しは柔らかく彼を照らしているが、道に彼の影はうつらない。  ──うーん。両手に食い込む重い買い物ふくろを道におろして、ちょっとだけ丘の向こうまで歩いてみようかな。  彼を道にとどめている両手の買い物ふくろからは、彼女から頼まれた食材がはみ出て彼を見ている。彼は彼女から頼まれた食材を置いて丘の向こうに進むか悩む。  ──ちゃんとお花見の場所取りして、待ってるからね。早く戻ってきてね。  彼女の言葉を思い出した彼は、きれいなお花畑から流れてくる離れがたい誘惑を断ち切るように、きびすを返すと、大股で走り出す。両手の買い物ふくろは、大きく揺れながら彼の手に食い込む。  * * * 「K君! 大丈夫? Kくんっ!」  さくらの名所になっている高台の公園に昇る何十段もある石段の一番下、その場所に両手にスーパーの買い物ふくろを握りしめて大の字に倒れている彼が目を覚ます。  目の前には、涙目になって大声で彼の名前を何度も叫んでいる彼女が。  ──ああ、足を踏み外して階段を転げ落ちたんだ、おれ。 「ダメだよK君! わたしを置いて、勝手にお花畑なんかに行っちゃ」 「そーだな。せっかく美味しいもの買ってきたんだ。花より団子だものな」  彼は、倒れたまま両手に握りしめていた買い物ふくろを彼女に向けて差し出して笑う。 「ううん、違うよ。何を見るとか食べるとかじゃなくて、誰とみるかでしょ、お花見って」  彼女は涙を拭いてから、彼が差し出す買い物ふくろを受け取って笑った。 (了)
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