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「待った?」
仕事終わり、待ち合わせのバーで早く来ていた平沢に声をかける。カウンターバーで、緩くレゲエの曲が流れているこの場所が、彼女は好きで何回か来ている。
「おそーい。もう三杯目」
既にコロナビールを飲み始めているこの平沢という看護師は、フットワークが軽くいつも誘うと来てくれる。
「今日は何?天堂ちゃんにびびったの?」
うふふ、と笑って長い髪を撫でる彼女。手術室の格好とは打って変わって、奔放な女性に見える。
「いや、……あの麻酔科医、すげえ外科に厳しくない?なんなのかなって」
「あー」
ぐいっとビールを飲み干して、彼女はおかわり、と言う。
「はいはい」
店員に声をかけ、もう一つ、と言う。いつもココは俺のおごり。その代わり、有力な情報をもらったり、手術室でうまく立ち回れるように援助してもらう。そして、もちろんお互い気持ち良くもなるけれども。
「天堂ちゃんはさ、完璧なんだよねー完璧主義?っていうの?私達から見ても妥協を許さなくて、息が詰まりそうだなって思うこととかあるよ」
「ふーん、確かにうちら外科医から見てもそう見える」
「なんだろうねえ、四月に彼が来てから三ヶ月だけどさ、確かに麻酔の質も変わったし、患者の安全は確保されてるしいいことはいっぱいあるけど」
「うん」
「そうだねえ……ちょっとギスギスしていることはあるかな」
「外科医とだけじゃないの」
はあー、とため息をついて平沢は言う。
「テキーラ飲んでいい?」
「どーぞ。飲まなきゃ始まんないってか」
「そりゃあそうよ。因みに口外厳禁だかんね。私も師長に怒られちゃう」
店員に追加のテキーラを注文する。コイツ、ザルかよ……。
「まあ、整形外科とさ。一悶着あって」
「まじ?整形の医長って西大系の……」
「そ。西大のお偉いさんよ。その人とさ。こんな患者に麻酔はかけられません、って」
「えええええ」
「まあ、整形のお医者ってさ。まあ全身状態に疎いって言うかそういう側面もあるかなーとは思うんだけど。天堂ちゃん忖度がないから、今まで忖度を受けてきた人はすんごい嫌うね。だって生きている世界が違うから」
「そうか……で、結局麻酔かけなかったってこと」
「整形外科の医長がさ、『お前ら麻酔科医なんて俺たちの依頼で飯食うハイエナの癖に!』って言っちゃったんだよー」
「ええ?響先生?あらら……そらソイツもなあ」
「まあ西大の大先生だから。今まではなんやかんや、緩―く断られてたんじゃない?それがはっきり言われたらさ、切れるよね普通」
「それって麻酔科医長の東先生はなんて言ったの」
「うーん、多分だけど気をつけてって。それだけ」
届いたテキーラは二つ。ライムと塩が載っていた。
「まあ、そりゃあね……東先生もきっと、今までむかついてたんだろうなあ」
「なんか、改革しようと思っているのかどうなのかは分からんけども、自分のポリシーは、ありそう」
「まあ、そうだよね……でもさ、依頼している身としてはちょっと苛つくなあ。というか、気が重いよね。麻酔を気軽に頼めないって言うか。そうしたらさ、手術件数も下がってさ、病院的にもいいことが……」
「じゃあ、苛ついたところでカンパーイ」
遮るように平沢がいうので、二人でテキーラのショットを乾杯する。ライムを搾って、一気に飲み干すのが飲み方だ。
「行くよ、せーの」
かけ声で一気に飲む。そしてショットグラスを派手に、ガン、と机に置いた。
「あはははは」
「飛ばしてんね、今日」
「だって待たされたからー」
「仕方ないじゃん、帰らせて貰えないんだもん」
机に置いた手に、そっと平沢の指が絡まる。うん、そうだね、と握り返す。
「今日はご奉仕します」
「やだーエロ親父みたい」
「ちょっと、一応三十代だから親父はやめて」
「ま、乾センセ顔まあまあイイもんねー。軽薄だけど」
「オイオイ」
なんと言われてもいい、俺は仕事しやすくしたいだけ、なんだから。
「そろそろ行く?」
「どこに?」
試すように訊く平沢に、好きなとこに、と言う。
「やったあーじゃあまたあそこね」
平沢は後腐れがない、と思う。自分の立場を分かって、外科医である自分に情報提供してくれる。俺は酒と肉を与える。WinWinの関係、とはこういうことかもしれない。今は手術に集中したい、だからこそこうしている。それを平沢は分かっていると思う。
「ね、センセが開業したらさ……私のこと雇って」
「はいはい……酔うと口癖だな」
「酔ってないもーん」
そのまま店を出て、ネオン街を歩く。明日は当直かあ……ちょっと早く帰って休みたいな、と思う自分もいるけど、とりあえず今は目の前にある身体に没頭したい。
脳裏にあの、冷たい視線が焼き付いているけど、振り払うように平沢にキスをした。
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