血の塊

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3 「あ、乾センセ、C室」  手術室に入ると、看護師達が口々に声をかけて来る。よほど執刀医である自分の到着を待っていたのだろう、確かに少し時間が過ぎた……麻酔はもうかかっているのだろう。 「あ、すみません。手洗ってきます」  一言断って手を洗う。麻酔は……天堂だ。運が悪い。 手を洗っていると、外科医長松本先生が声をかけて来る。 「乾君、これから緊急のイレウス*11が入りそうだよ」 「え?この手術のあとですか」 「そうなりそうだね、これから救急車が来る」 「なるほど……」 「まあ、夜コースかな。申し訳ないけどよろしくね」  俺が主治医、ということなのだろう。これは平沢が言ったように、夜遅くに終わるパターンか……。 「お願いします」  手洗い終えてガウンを着ていると、天堂の声がする。 「麻酔の時間が長引きます、時間厳守でお願いします」  分かっている、分かっているのだけれど、仕方のない時もある。 「すみません」  謝りながら、心で罵倒する。  お前は知らない、生の患者の声を聞かなきゃいけないこと。麻酔とは違う外科のこと……。  いつか、コイツの鼻っ柱を折ってやりたい。そのためなら、何でもしたい。 「先生お願いします」  手洗い看護師にうん、と答える。ああ、この子が新人の子だ。 「えーとごめんね、名前なんだっけ」 「飛山桜です、よろしくお願いします」 「さくらちゃんね、可愛いね」 「先生、セクハラですよ」  すかさず外回り看護師の平沢が答える。ああ、なるほど……この枠が緊急手術の枠なんだ。このメンツで寄るまで手術をやるってことだな。 「セクハラなの?ええー」 「乾先生、手術中私語は慎んでください」  すかさず天堂の声がする。いくら何でも突っかかってきすぎだろう……。 「天堂先生、すみませんでしたね、俺のことすごく気にしてくださって嬉しいです」  嫌味のように返すと、天堂はよそを向いてしまった。嫌味を言いすぎたか……。  でも普段もっと言われているし、そのくらい返してもバチは当たらないだろう。 「さ、やろうか」 「おねがいしまーす」 「タイムアウト*12」 天堂の声で、全てのスタッフが止まる。 「○○××さん、S状結腸癌、低位前方切除、執刀します」  繰り返すスタッフ達。患者の誤認防止のためだ。 「じゃ、メス」  助手の外科医がコッヘル、と言う。心身の機械出しはまあまあ遅く、ただ遅くとも手術のペースについては来ているので、見込みはあるのだろう。 *11腸の中の食べ物の流れが途中で詰まってしまう病気。腸がねじれたり、動きが鈍かったり、大腸がんなどが原因で起こる *12 タイムアウト ( 英: timeout )とは、執刀前に手を止めて執刀医が患者、手術部位、術式を声に出して確認することである。 麻酔科医 と 看護師 はそれが正しいことを確認する。  
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