セリカとハルカ

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 ハルカとは、たまたま同じ高校の同じクラスだった。ただ、ふたりの場合、それだけの偶然では仲良くなることはなかっただろう。  セリカは学校という社会そのものがだいきらいで、教室にはほぼ行ったことがない。  授業もさぼりまくって単位を落とし、留年が決まった一年の冬に退学したほどだ。  クラスメイトの顔などハルカ以外ひとりも知らない。  そんなセリカがハルカと出会ったのは、まったくの偶然だった。  授業を受けずとも制服だけはしっかりと着て、セリカはいつものように旧校舎に忍び込んで昼寝をしていた。  そこにやってきたのが、たまたまさぼる場所を探していたハルカだった。  ハルカは普段は真面目に授業を受けているが、体育だけは好きじゃなくてサボりがちだったらしい。  体育の時間、いつもはなにかしら理由をつけて保健室やトイレを利用してさぼっていたけれど、さすがに近頃はいいわけが尽きてきてしまったのだと笑っていた。  ハルカは人懐っこく、たびたび旧校舎に来るようになった。  はじめは鬱陶しくて塩対応をしていたセリカだったが、反応をしなくてもハルカはまったく折れる様子がなく、それどころかしつこく話しかけてきたので、セリカは次第に諦めて単語だけ返すようになった。  お互いが同じクラスだと知り、案外近くに住んでいたということが発覚してからは、あっという間に距離が近付いた。  セリカの退学が決まってからも、ふたりの距離が遠くなることはなかった。  むしろ、近くなったような気がした。  セリカがハルカの家に入り浸るようになったからだ。  ハルカの家は父子家庭で、父親は恋人のところへ行ったっきりほとんど帰ってこない男だった。それをいいことに、セリカはハルカの家に転がり込んだ。  ハルカが学校へ行っているあいだはセリカはバイトに出て、夜はふたりで過ごした。家族のように。  セリカは、このときのハルカとの出会いを運命だと思っている。  彼女と出会わなければ、じぶんはとっくに人生を諦め自殺しているか、ろくでもないことに手を出して犯罪者になっていただろう。  過去に思いを馳せていると、菖太朗がのんびりとした声で「ふぅん」と相槌を打った。 「案外、出会いはふつうなんだな。俺はてっきりもっと昔からの仲なのかと」  菖太朗の言葉に、セリカは乾いた笑いを漏らした。 「友達なんてそんなもんでしょ。これでもハルカのことはだれより大事に思ってた。だからこそ、今回のことはショックだった」  菖太朗が「そうだよな」と目を伏せる。 「まぁ、もう過ぎたことだし、いいけどさ。ちゃんと、ハルカとも話したし」  そう言いながら、セリカはステーキを口へ運ぶ。 「……そうか」  そのときだった。  沈黙が落ちたリビングに、タイマーの音が響いた。 「あ、できたみたい」 「まだなにか作ってたの?」 「うん。ローストビーフ。お肉たくさんあったから、最後だしぜんぶ使っちゃおうかなと思って」 「いったいどれだけ買ったんだよ。俺、もう結構おなかいっぱいなんだけどな」 「えーそんなこと言わないでよ」 「そうは言っても」 「だって、仕方ないでしょー。普段料理しない人間は材料の割合なんて分からないの。今日くらいと思って作ったんだから、食べてよ。その責任があなたにはある。それにこれは、私の最後のわがままだよ?」  セリカは、菖太朗に背を向けた形でキッチンに立ちながら、愛想良く言った。 「はいはい」  菖太朗はセリカの話を半分聞き流しながら、テーブルの上に置いていたスマホをいじり出す。 「あ、そうだ。菖太朗、明日は休みだよね。私仕事だから、朝荷物まとめてそのまま出てくからね」 「あぁ、それなら見送るよ」  菖太朗はスマホをいじるのをやめて、顔を上げる。 「いいよ、わざわざ。寝てていいから。むしろその方が助かるし」  ローストビーフが綺麗に盛り付けられた皿が、菖太朗の前に出される。 「あのさ」  ローストビーフを見下ろしたまま、菖太朗は「こんな日に言うことじゃないかもしれないけど俺、ハルカと結婚しようと思ってるんだ」と言った。  セリカは特に表情を変えることなく、短く「そう」とだけ返す。 「ごめん、セリカ……」 「なんで謝るの? べつにいいんじゃない? 今日で私とは終わるんだし」 「でも……俺の浮気のせいで俺たちダメになったのに、俺だけハルカとすぐ結婚なんて、なんか申し訳なくて」  セリカはしばらく菖太朗をじっと見つめ、ふっと笑った。 「そんなことないよ」  口ではそう言いながらも、今さらかよ、と心の中でツッコむ。  申し訳ないと思うなら、なぜ浮気した。  じぶんのしたことを本当に後悔しているのなら、ふつうこの場で結婚報告などしない。  セリカは呆れた。じぶん自身に。  じぶんは今まで、こんなにも世間知らずな男と付き合っていたのか、と。 「今さらそんなこと気にしなくていいってば。どのみち遅かれ早かれこうなっていただろうから。ほら、食べよう?」 「……うん、そうだな」  本当に気にしなくていいことだ。  そう思いながら、セリカは笑顔を張りつけたまま、箸を進める。そんなセリカを見て、菖太朗も食事を再開した。  セリカはむしろ、菖太朗とは傷が浅いうちに別れられてよかったと思っていた。  セリカと菖太朗は、ハルカの紹介で出会っている。運命でもなんでもない。  ハルカに勧められて付き合い、昨年同棲を始めた。それから一年は穏やかに過ぎていった。  しかし今年の初めになって、菖太朗の浮気が発覚した。その相手は、じぶんに菖太朗を紹介してくれた張本人、ハルカだった。  セリカは恋人の菖太朗だけでなく、親友のハルカからも裏切られたのである。  問い詰めたところ、ハルカと菖太朗は昨年の秋頃から既に関係を持っていたという。  そのとき初めて、セリカは絶望という感情を知った。  菖太朗と出会って間もなく付き合い始めたセリカは、菖太朗のちょっとした違和感を見逃し続け、まったく気が付かなかったのだ。  浮気を知った瞬間、セリカの中でふくらみつつあった菖太朗への愛はあっさりと冷めた。  セリカは、ソースをたっぷりかけたローストビーフをひとくちで食べた。唇の端からあふれたソースを、指の腹で無造作に拭った。  うんざりした。  やっぱり、じぶんに恋愛は向いていなかったのだと、セリカはそのとき確信した。
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