身勝手な婚約者が私を身代わりに差し出したので

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【3】  その頃、リサ・キャラハン伯爵令嬢は別荘のある湖畔(こはん)で、画架(がか)画架を立て趣味の絵を描いていた。  綿雲の浮かぶ青空。穏やかで陽を受けて(きら)めく湖面に空の雲が映りこんでいた。  湖の向こう側は美しい緑の山々。  そんな中、山の方から急にぶ厚い雲が垂れこめてきて、辺りが暗くなり出した。 「天気の急変かしらね」  リサはあまり気にも留めずに、でも、雨に降られるのは勘弁とばかりに絵の道具を片づけ始めた。  そのとき、 「おまえかあっ!」 と空気を震わすような低い大声が聞こえたのだ。  リサが驚いて見回してみると、青い大鬼が立っている。  その爛々(らんらん)と光る目に(にら)まれてリサは恐怖を感じた。 「あの、私に何か御用でしょうか?」 とリサはおずおずと尋ねた。  鬼はふんと鼻で笑った。 「おまえの婚約者が自分の代わりにおまえを食べろと言うのでね」  リサは驚いた。そしていつも冷たい表情のブレントのことを思い浮かべた。 「あの人、ついに私を売ったの!?」  あまりのことにリサは一気に恐怖が吹き飛び、何やら強い怒りが湧いてきた。  大鬼はリサの様子が意外だったようだ。 「ついにとは何だい? おまえの婚約者は裏切りの常習犯かい?」 「まあそんなところかしら。あの人は身代わりを提案するにあたってどんな理由を?」 「うん? この国の根幹に関わる大事な使命があるとか何とか」 「この国の根幹!? 婚約者の女一人守らずに何がこの国の根幹よ、すごい大風呂敷(おおぶろしき)ね」  リサは(あき)れてしまった。  大鬼はなんだか急にがっかりした顔をした。 「なんだ。あいつはそんなたいした男じゃなかったのか?」 「ただの嘘つき男よ。浮気も仮病も失敗の言い訳も……。それでも昔は彼を信じていたものだけど」  リサは遠い昔に思いを()せた。  出会った頃のブレントは優しかった。 「はじめまして、リサ。僕の婚約者はあなたに決まったんだって。親の決めた婚約だけど、僕は君を必ず幸せにするよ。だって僕らの人生は僕らのものだもの。幸せになるのは僕ら自身さ」 「リサ、お誕生日おめでとう。君の好きそうな指輪を見つけたよ。君をいつも以上に輝かせると思うんだ!」 「リサ、僕が君に夢中すぎるってみんなが揶揄(からか)うんだ。最初っから飛ばし過ぎると長続きしないよって」  そんな彼の言葉はとても愛の溢れるものだったのに、しかし、いつからかブレントは冷たくなっていった。 「あの夜会で僕が誰と踊ったかって? 誰でもいいだろ。あんまりうるさく言うなよ。どうせ結婚するのは君なんだ」 「ああ、そういえば先日君の誕生日だったね。ちゃんとうちの執事が手配したろ? ああ、あの日は病気だったんだ。体調が悪かったんだよ」 「君の御父上がさ、僕の推薦した徴税官が横暴を働いてるって言うんだ。でもあいつは飲み友達で、根はそんな悪い奴じゃないんだよ。ちょっと初仕事で舞い上がっただけさ。御父上にお前からそう言っておいてくれよ。え、僕から? 嫌だよ、バツが悪いだろ」  私に飽きたのか心変わりか。もう今となっては、リサはブレントを信じられなくなっていた。  昔ブレントに心をときめかせていただけに、こうなってしまったのが悲しくて仕方がなかった。  なぜこうなってしまったのか、私の何が悪かったのかと自問する。  私が悪いならちゃんと改善する。昔の彼に戻ってくれるのなら……! でももう遅すぎるのか?  そして、ついに彼は私を鬼に売った。自分が助かるために婚約者の命を差し出したのだ。  ……もうそれは、一線を越えた気がした。  そのとき鬼が(つぶや)いた。 「そういや、女がらみで人生一番驚いたことがあったと言っていたなあ」  女と聞いてリサは「あっ!」とピンときた。  リサの目には何やら先程とは違う光が宿っていた。 「大鬼さん。それはあの男の口八丁(くちはっちょう)。そんなのに乗せられたなんて、あなた、ずいぶんと見くびられたと思わない?」 「俺が見くびられている?」 「そうよ。あの男は『国の根幹に関わる』とか大仰(おおぎょう)なことを言ってあなたの関心を買ったのよ。それが嘘だったら?」  リサの挑発に大鬼は目を()いた。 「俺を軽く見るとどうなるか思い知らせてやる!」 「ねえ、あなたは私を食べる気でしょう? それは仕方がないかもしれないけど、私を食べる前にね、あの男に『どういうつもりか』と文句を言いに行ってもいいと思うのよね。行きましょうよ、私も文句を言いたいもの! 私を食べる前に、一つあいつの本性がどんなものか見せてあげるわ!」
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