花を見る

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 会社からの帰り道、桜が咲いているのを見かけて、ああ、お花見の季節か、と僕は思った。それと同時に、嬉しさと悲しさが押し寄せてきて、複雑な気持ちになる。  嬉しいのは、彼女と出会った時のことを思い出すからだ。彼女はお花見が好きだった。僕たちが知り合ったのも、お花見の時だった。その日僕は、桜を見るためというより、桜の写真を撮るために、そこにいた。思ったよりも人が多くてうまく撮影できず、撮影を諦めて帰ろうとした時。斜め上に顔をあげ、桜を見つめる彼女を見つけたのだ。その様子がものすごく美しく感じて、僕は思わずカメラを向けていた。カシャ、と撮影をした途端、ファインダーの彼女はこちらを見た。僕は慌ててカメラを下げて彼女に近づき、写真を撮ってしまったことを謝った。怒られるかと思ったけれど、彼女は、見せて、と言った。そしてそれがきっかけで僕たちは知り合い、付き合うようになったのだ。  それがもう10年くらい前のことだ。彼女と付き合うようになってから僕はとても幸せだった。たくさんデートもしたし、将来の事だって話した。旅行にだって行ったし、毎年、お花見もした。きっと僕たちは結婚するのだと思っていた。けれど。  お花見の季節に、嬉しさと同時に悲しさも押し寄せてくるのは、ちょうどその頃に僕たちは別れたからだ。きっかけは、彼女の裏切りだった。彼女は、別の男と付き合っていたのだ。それを知ったのは、彼女がその男と一緒にいる所を偶然見かけたからだ。彼女は、付き合っているのではない、ただの友達なのだと必死で説明したけれど、僕にはどうしても信じられなかった。実際、二人を見かけた時の彼女の笑顔は、僕の前では見せないようなものだった。少なくとも僕にはそう見えたのだ。  それからすぐに別れたわけではないけれど、彼女と一緒にいても苦しいだけで、笑う事さえできなくなり、結局彼女の方から、別れたいと告げられた。別れたくはなかったけれど、どうすればいいのか僕は分からなくて、彼女のその言葉を受け入れるしかなかった。  ただ、それだけならまだよかったのだ。失恋は苦しいけれど、誰だって経験するようなもので、だから時間が経てば前を向けるはずだった。時間が経てばお互い笑顔で会うことができる、と思おうとした。けれどそうはならなかった。彼女が結局、その男と付き合い始めたからだ。  ただ裏切られただけなのだ、という気持ちで僕はいっぱいになった。愛と憎しみは紙一重、というけれど、僕にとってはまさにそれだった。僕はただ、裏切られただけなのだ。そう感じてしまうのを、必死で否定しようとした。きっと彼女が僕と別れてあの男のところに行ったのは、僕が悪かったからなのだ。僕が悪いことをしたから、彼女は離れていったのだ。裏切られたのではなく、僕が悪かっただけなのだ。そう思おうとしたけれど。実際に僕に悪いところがあったのも確かなのだろうけれど。それでも僕は、彼女に裏切られたのだという気持ちを捨てることが出来なかった。それが苦しくて、憎らしくて、けれどそれでも、僕はもう一度彼女と一緒にいたくて。だから、そして、僕は。  家に着いて、今日は花見をすることにした。お花見の季節、僕はいつも花見をする。この家で、独りで。今年はいつもより少し早いけれど、桜も咲いていたし、こんなにいろんなことを思い出してしまったから、別にいいだろうと思った。そもそも毎年一回と決めているわけでもない。お花見の季節にはほぼいつも花見をしているけれど、お花見の季節ではないときでも、彼女のことを思い出した時には、時々しているのだ。花見は僕にとって、そういう時々行う行事みたいなものになっているのだ。  僕はまず冷蔵庫から缶ビールを取り出して、机に置いた。それから押入れを開け、大きめの箱を取り出す。少し重い。窓から桜は見えないけれど、この中に、花が入っている。缶ビールを開けてから、僕は箱のふたを開ける。覗き込むと、綺麗な花が見えた。  乾杯の仕草をして、僕はもう一度箱の中を覗き込みながら言う。  きれいだよ、花。  箱の中の、僕の大好きな彼女は、何も言わないまま、僕を微笑み返していた。
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