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プロローグ
「残業は禁止だって言ってただろ? ここはブラック企業ではないんだ」
夜遅く。主任の愛音さんが僕の机にコーヒー缶を置く。
どうやらこんな時間まで作業をする僕が心配だったらしい。
一度会社を出たと思ったが買い物袋を抱えて戻ってきた。
「でも心配で心配で。部署ごとで大手ホテルのオーナーにプレゼンするって」
「最も気に入られる花木だけがホテルの敷地に置かれる。ただ負けたって死ぬわけじゃないだろ?」
愛音さんは袋からおにぎりとコーン入りサラダ、焼き鳥串を出す。
近くのコンビニのものだ。
「分かってます。小さい頃から花が好きだったので、こうして花木を設計できるの嬉しいんです」
「オーナーもお花見を復活させたいそうだ。私の祖父母も生まれていないような昔、クローンだったソメイヨシノは伝染病の影響でほとんど枯れてしまった。ホテルのオーナーは日本の消えた花見文化をもう一度と考えているそうだ」
愛音さんは串に齧り付く。
一瞬見えた八重歯が見てはいけない気がして、急いでコーヒーを一口。
「綺麗な花が咲くだけでは今の時流には合わないでしょう。お花見の復活には賛成ですが、わざわざうちの会社の独自技術に依頼する理由って」
キーボードを打つ。
パソコンの隣には正面が開く巨大な箱がある。
箱の外には線がいくつも伸びていて、自社のスーパーコンピュータや特殊なガスを送る装置に繋がっている。
箱の中身は特殊な種だ。
入力した特徴を持つ花木のもとになる種。
魔法のように自由自在の植物を設計できるうちの会社の独自技術だ。
「いろんな果物が実る木とかの方が実用性高いと思いますが。きっと木を囲んで宴ができるようなものを望んでるんでしょうね」
「昔の文献に寄ると、花より団子なんて言って、宴での食事を花より楽しみにしていたそうだ。でもそれなら桜を作ってくれ、なんて依頼で十分だがな」
「あ、主任。サラダのドレッシング、和風ですか。すごく酸っぱい感じの匂いがしてきます」
「つまり?」
「なんでもないですが?」
「気が散ると? 食え、まだプレゼンは後だ」
「おかかじゃないですか!」
「苦手か?」
「僕はツナマヨ一択なので」
「おかか最強だが?」
喋っている途中で無理やりおにぎりを押し込まれて、諦めて食事を摂ることにした。
ソメイヨシノか。
当時の写真を見れば鮮やかで綺麗なのは分かる。
でも何が楽しいのだろうか?
本当に花が楽しいのか?
僕は分からないことだらけだった。
「ってもう作業再開か? 働きすぎだ、休め!」
「けど心配で」
「それでもだ」
「あ、主任。今日も終電逃しました」
「そうか、仮眠室使え。ん?」
「どうしました?」
「今日もって言ったか?」
「ぎく。いや、あ、なんのことですかね?」
「明日は休めっ!」
なんて主任は怒るけども。
今日はもう少しだけ待っていてくれるらしい。
愛音さんは面倒見がいい。
僕は、やっぱりプレゼンで勝ちたいんだ。
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