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悠真は学校へもバイトへも行く準備もしないで、紙袋の中の溜まった洗濯物を近くのコインランドリーに突っ込むと、コンビニでペットボトルのお茶とお弁当を買って、そのままふらりと商店街の方へと向かった。
今日は朝から、しとしとと静かに小雨が降っていた。私は霊体になってから寒さも感じないのだけど、いつも似たようなネルシャツと、安っぽいコート姿の悠真の平然とした表情からは、今が11月も後半の寒さの真っただ中だということを感じさせない。寒くないのかな? 第一あの部屋にも小さい電気ストーブひとつしか暖をとるものがないのだ。
「えっ、ここ?」
悠真が入っていった雑居ビルのエレベータが止まった先は、こぢんまりとした漫画喫茶だった。
「何? 悠真、漫画とか好きだったの?」
どうもこいつは、人の問いにはちゃんと答えるという常識が欠けているらしい。こうやって話しかけても無視されることが多いんだ。
仕方なく、私は初めて入る漫画喫茶の店舗内を観察することにした。本を読む場所としては薄暗く、所狭しと並べられた本棚の間に、無理やり作られた通り道は、向かいから来た人とすれ違うのがやっとだ。足元の絨毯も、飲み物をこぼした跡やスナックの食べかすが残っていて、とても衛生的とは言えない。『シャワー室完備』という張り紙を見て、漫画喫茶で暮らしているような人がいると、テレビで言っていたことを思い出し、とても気が知れないと嫌悪感を抱いた。
でも、一番驚いたことは、平日の昼間だというのに結構人がいるということ。ひ弱そうな中高生男子はもちろん、スーツ姿の会社員らしき人もいる。日本社会の現実を垣間見た私は、暗い未来を想像して心が少し重くなった。
そうこうしているうちに、悠真は漫画には一切興味を示さず、個室のパソコンで何かを熱心に調べていた。
「へぇ、あんた案外いい学校行ってんだな」
「えっ?」
「高校のホームページ、これだろ? 見てみなよ」
悠真が示したページには聖泉学園と書かれ、制服の写真が載っていた。
「校門とか、校舎内とかの写真見て、何か思い出さない?」
うーん、どうだろう。確かに制服は今着ているものと同じみたい。だけど、自分の名前はあんなにはっきり覚えていた割に、私はビルから飛び降りる以前のことは、全く憶えていなかった。
「写真じゃあピンとこないか?」
構内の写真を見ても、懐かしさも何も感じなかった。
「この学校だったら市内じゃないけど、同じ県だしそう遠くないぜ。行ってみるか」
こう言うと共に悠真は席から立ちあがり会計へと向かった。
あっ、また人の返答聞いてないし。
**************
電車の乗り換えを一回間違えたものの、聖泉学園にはちょうど下校時刻に着き、正門からは、帰宅する女子生徒たちの姿が流れ出てきていた、校庭内では運動部の元気な声が響きはじめている。雨もいつの間にか上がっていたみたい。
「ホームページ見て共学だと思ったんだけど、これじゃあ俺、中に入れないじゃん」
「ううん、違うの。共学なんだけど、うちの学校、女子部と男子部と校舎が完全に分かれてるのよね。こっちは女子部の正門だから。でも、どっちにしろ構内に入って確認するのはムリよね」
あれっ?
「ふーん。ちょっとは記憶復活した?」
悠真は満足そうに余裕を含んだ微笑みを浮かべていた。そして、もっとよく見てみろと、私を自分の頭の上へと促した。
「そうだ、ここ私の通ってる学校だ」
閑静な住宅街に見守られるように建っているこの学園周辺には、落ち着いた雰囲気の喫茶店や小売店などもあって、学生以外の人通りも多い。とは言え、女子高生の中を同世代の男子が、ひとりでうろついているのも大分居心地が悪かったことだろう。そんなことにも気づかずに、姿の見えない私は女子高生たちの中を、ゆっくり歩く悠真の頭上2.5メートルから学校の壁の向こうを必死に覗き込んでいた。
「えっ、何?」
急に足を止めた悠真は、突然私の足首を強くつかんで引っ張った。
「おまえ、びっくりするなよ」
「何なのよ」
足首をつかむ悠真の手の力が一層強くなった。手の力と共に、強い視線の先に意識を向けてみる。
「久しぶりだよね。4人そろって帰るの」
「涼は部活熱心だもんね」
耳に入ってきた声は、なんだか懐かしい感じがした。
「風邪、大丈夫?」
「もうっ。いっそ、学校も休ませてくれればすぐ治るのにっ」
あっ、この声。涼、美樹、小麦! あれ? 4人?
「ねぇ、どこか寄って行かない?」
「だめだめ。涼は風邪早く治さないとね」
あれ? 最後の声って……。
4人並んで歩く女子高生の後ろ姿。その中のひとりが軽く後ろを振り返った。
やや栗色のゆるいウェーブのロングヘアと、赤い毛糸のマフラーが風にふわりと揺れながら振り返ったその少女は。
「あ、あれって……」
「おまえだよな。莉奈」
えっと、私は死んだわけでもなくて、生霊だったら帰る実体があるはずで、でも私(霊体)がなくても実体は動いていて……。
「おまえ、帰るところなくなっちまったんじゃね?」
私って一体どうなっちゃってるんだろう。
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