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「それって、莉奈ちゃんの本体、他の霊魂に乗っ取られちゃったってゆーことかしら」
「いやいや、D子さん、それもちょっと違うようじゃよ」
「そうよっ。家まで行って本体の様子見て来たんでしょう? 莉奈ちゃん、その日の記憶そのままあるってぇ」
「やっだぁ~。じゃあ、今日会ってきた本体って、過去の莉奈ちゃんなのぉ?」
「本体が過去というより、この世界が今の莉奈ちゃんにとって、過去になるんじゃないかのぅ」
今日はいつにも増してたくさんの霊の皆さんが集まってきていて、私の置かれた状況についてあれこれ推理を巡らせてくれていた。
先に話していたのは、新宿2丁目で亡くなったD子さんとE子さん。そして、彼女たち(彼ら?)のお店の常連客のJ爺さんだ。
「ええっ? そしたら莉奈ちゃんはどうやって本体に帰ればいいのぉ?」
「う~む。次元の歪みの影響かのぅ」
次元の歪み?
確かに私が悠真に助けられて目覚めた場所は、飛び降りたビルの下なんかじゃなくて、だいぶ離れた場所の広場だった。私、もっと簡単に考えてた。本体を見つけたらすんなり元の身体の中に戻れるものだと思い込んでた。でも、あんなにしっかり意識のある本体に、今の私が入れるとはとても思えない。
「莉奈ちゃん、大丈夫かい?」
「えっ?」
自分でも驚いてた。私の目からどんどん涙が流れ落ちていたこと、Yさんに指摘されるまで、まったく気づいていなかったの。
でも、変だよね、私。あの日飛び降りるまで、苦しいって思って泣いたこともなかったし、自殺したのなら、自分がどうなってもいいはずじゃない? なのに、どうして今、こんなに涙が流れてるんだろう。
「そりゃあ不安よぉ。あたし達だって自分たちが死んで、あの世に行けない身になったんだってこと受け止めるまで時間がかかったんだからぁ……」
「それに、莉奈ちゃんの場合は、もっと不可解じゃ」
「ちょっとぉ~。悠真ちゃん、何か言ってあげてよぉ」
この会議中、悠真はずっと無表情のまま黙り込んでいた。
なんだろう。怒ってるのかな。そうだよね、このまま訳の分からない状態の私がずっとくっついてるなんて、すごい迷惑だよね。
「あの、悠……」
とにかく一言謝らなきゃと思った瞬間、玄関と呼ぶにはみすぼらしく、みんなで『入口』と呼んでいる方で、ガチャガチャとドアのノブをひねる音がした。
動揺も見せずにスクっと立ち上がった悠真。霊のみなさんたちは何かを察したように、一斉に気配を消していった。
「紘人……」
悠真が入口を開けた先からは、小学校に上がったばかり位の小さな男の子が飛び込んできた。
「兄ちゃん、これ見てよ」
「ダメだろ? こんな遅い時間に来たら」
「でも、すぐに見せたかったんだ。ダレンジャーのフィギア当たったんだよ」
そう言って、紘人と呼ばれた小学生は、今流行っている戦隊もののフィギアを得意げな顔で自慢している。自分が描いたダレンジャーの絵が、何かのコンテストで優勝した時の賞品らしい。
それはいいとして、何なのこの和やかな空気は。さっきまでの武骨な表情は嘘のように消え去って、小学生の目線の高さに合うように、しゃがんで彼の賞品の自慢話に一言一言優しいまなざしで答えている。声のトーンもゆっくり柔らかな印象で、いつもの私への対応を思うとまるで別人だ。
「紘人、今日はありがとな。でも、もう帰らなきゃ。夕食の時間過ぎてるだろ」
どうやら家まで送っていくらしい。入口で靴を履く悠真の後ろについていく私の方へ、紘人少年が一瞬視線を移した。目が合った? そんなはずないよね。私は普通の人には見えないはずなんだから。
紘人少年の送り先は、悠真のアパートから歩いて30分程度の場所にあった。住宅の築年数も少年の年齢と同じくらいと思われる、ごく一般的な一軒家だった。
「兄ちゃん、またね」
手を振り門を通ると、彼は走って玄関へと入っていった。ただいまの声と共に母親らしい人のたしなめるような声がかすかに響いた。
「え、えっと。弟さんなんだよね?」
「ああ。父親は違うけどな」
「こんな近くに住んでいてどうして? ちょっと寄って行けば……」
チラッと視線を移した瞬間、私は言葉を言い切ることができなくなった。
今の彼の様子を見て、紘人少年が来る前に感じていた会議中の硬い表情は、別に怒っていたわけじゃなかったんだと、実感することができた。
なんだろう。今の悠真、すごく怖い。私、なにか怒らせた?
実際には1、2分も経っていなかったのかもしれない。でも、ずいぶん長い時間のことのように感じられた。
家の門の前でピクリとも動かず、目はどこか一点を凝視している。固く閉ざした心の中で、悠真はやり場のない激しい感情を、必死に抑えようとしているかのように思えた。
何か言ってあげたいと思うのだけど、まるで言葉が浮かばない。
なすすべもない私の存在なんて、まるで忘れさられてしまったみたい。
やっと動き出した彼は、大きく吸った息を吐き出し、ゆっくりした動きで家に背を向けながら、自分のアパートへと歩を進めた。スローモーションで再生した動画のように重い動きだった。
「おまえは、おまえ自身のことをもっと知らないとな」
ぼそっとつぶやいた彼の一言に、怒りの響きは感じられなかった。
でも、あまりにも抑揚のないその声は、何処に向けられたものでもなくて、私はただ、息を殺すようにして、彼の後をついていくしかなかった。
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